医療事故事例の再発防止と不当な訴訟から守るべき看護師と医師

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医療事故から守るべき看護師と医師

看護師のAさん(50歳代、仮名)は4年前、担当していた高齢の女性患者が亡くなった医療ミスの責任を問われ、勤めていた病院を退職した。

この女性患者は意識がほとんどなく、栄養補給は鼻から胃に通したチューブが頼り。事故当日、チューブが外れていたため、20歳代の後輩看護師が再挿入したところ、誤って気管支に入れてしまった。

その後、誤挿入に気がつかないまま、Aさんが栄養剤を投与、それが肺に流れ込んだことで、女性は亡くなった。

「私に責任があったことは間違いありません」。Aさんは事故について語るとき、必ずこう前置きをする。こわばった表情からは、今も女性への罪悪感が一日として薄らいだことはないことがうかがえる。

交通事故当日の夜勤に看護師の医療ミスがおこった

ベテラン看護師のAさんには、通常業務に加え、重篤度の高い「HCU(ハイケアユニット)」の患者も振り分けられた。処置の確認やタンの吸引、尿量のチェック。

 

 ハイケアユニット(はいけあゆにっと、High Care Unit)とは、ICU(集中治療室)と一般病棟の中間に位置する病棟で、ICUから移されてきた患者を対象とした高度治療室である。看護用語辞典 ナースpedia

 

後輩看護師から「女性患者のチューブが外れていたので、私が入れておきました」と報告されたのは、分刻みで院内を駆けずり回っているさなかだった。

そのとき、すぐに自分でも確認すればよかったとも思ったが、今振り返ってもそんな余裕はなかったとも思う。

とはいえ、後輩看護師も、Aさんも誤挿入による事故を防ぐため、厚生労働省などが通知している聴診器で胃の気泡音を確認する作業などは行なった。

念のため、栄養剤を注入する前には、女性の病室に出入りした複数の同僚にも容態に異変がないことを確認したという。

患者が急変したのはこの日の深夜

担当医は手術中で、駆けつけたときはすでに手遅れだった。病院側は当初、「問題なし」と判断。

女性の遺体は通常の手続きを経て家族に引き取られ、Aさんは上司から「運が悪かったね」「だれにも、よくあることだから」と声をかけられ、帰宅を許された。

病院側は態度を一転させる

地元警察署に異状死の届出を行ない、記者会見を開いて「看護師のミスの可能性が高い」と踏み込んだ発言までしてみせた。

その後の展開はAさんにとってめまぐるしかった。複数回に及ぶ警察の聴取。遺族への謝罪。業務上過失致死容疑での書類送検。罰金と業務停止処分の確定をした。

しかし、病院幹部はもちろん、なぜか、チューブを挿入した後輩看護師も担当医師も刑事上の責任を問われることはなかった。罰金40万円はAさんが全額、自費で負担することになった。免許取り消しだけはかろうじて免れた。

チューブの誤挿入による死亡事故は全国の病院や老人ホームで頻発している

厚生労働省は胃の気泡音の確認に加え、レントゲン撮影や胃液採取によってチューブの位置を確認するよう通知しているが、多くの現場は「そこまでできる余裕はない」と反発する。

警察が介入するかどうか、起訴されるか否かの基準もあいまいだ。なかには、病院側と遺族側との示談で終わっている事例や、表面化しない事例も少なくないといわれる。

そうかと思えば、盛岡赤十字病院(岩手県)の場合はAさんの事例と同様、チューブを挿入した看護師と栄養剤を注入した看護師は別々だったが、このときは二人とも書類送検されている。

病院側が見解を一変させ、自分一人が責任を問われた理由は、Aさんにもわからないという。彼女は医療事故の経緯については説明しても、事故の背景にある構造的な問題については語ろうとはしない。

構造的な問題に言及することは、自らの責任を否定することになると思っているのだろうか。ただ「亡くなった患者さんがいる以上、私に責任があることは間違いありません」と繰り返すばかりだ。

一方で、医療事故の背景に、確認作業もままならない過重労働があった可能性は高い。病院側は早々に「看護師の属人的なミス」との立場を固めることで、管理体制や診療体制などに責任が及ぶのを回避する狙いがあったと思われる。

事故後、病院内では詳しい医療事故の経緯などは説明されず、Aさんに残ったのは、「医療ミスを犯した看護師」とのレッテルだけ。事実関係を知らない職員の間では、誹謗中傷も飛び交った。

医療事故報告件数の推移(直近6か月)

参考: 医療事故調査・支援センター 

心身ともに疲れ果てた彼女はほどなく、辞表を出した。

Aさんが退職した後、病院ではチューブ挿入は医師が行なうとのマニュアルができた。もともとは医師の業務だったのだが、医師が忙しいとの理由でずるずると看護師任せになっていたものを、再び医師の業務として位置づけたのだという。

しかし、ほどなくして、なし崩しに看護師任せに戻ってしまった。親しかった同僚から、最近になってまた、誤挿入によるヒヤリハットが起きたと聞いた。

Aさんがポツリと言った。「私の事件の教訓が生かされていないんだとしたら、それは残念なことです」。

Aさんが勤めていたのは、関東圏内でも比較的新しい中規模病院。近代的な造りの外観は幹線道路からも望むことができる。彼女はよくプライベートでこの病院の前を車で通過する。

でも、いまだに建物に目を遣ることができない。平常心ではいられないという。罪悪感と喪失感とわずかな戸惑い、複雑な思いが晴れることは、生涯ない。

医療ミスは看護師の責任なのか

医労連が看護職員を対象に行なった実態調査では、「この3年間にミスやニアミスを起こしたことがあるか」との問いに「ある」と回答したのは86,9%%に上った。

「医療・看護事故が続く大きな原因」としては「慢性的な人手不足による医療現場の忙しさ」(84,9%)が断トツです。二番目が「交代制勤務による疲労の蓄積」(32,7%)で、ミスと忙しさや疲労との関連を示唆する声が目立った。

同じ調査で、「仕事を辞めたい」と思ったことがあるとした看護職を対象にその理由を尋ねたところ、上位は「人手不足で仕事がつらい」「賃金が安い」などだった一方で、「医療事故が不安だから」も16,8%あった。

医療事故調査の流れ

医療事故報告件数

医療事故調査の流れの図形

 

インシデントレポートは、病院内で情報を共有化すべき

また、日本看護協会が2004年に実施した「新卒看護職員の早期離職等実態調査」で、「仕事を続ける上での悩み」(複数回答)を尋ねたところ、「ヒヤリハット(インシデント)レポートを書いた」が58,8%に上り、四番目に多かった。

「新人看護師にとってはリポートを書くこと自体がストレスとなっていて、さらにはそのことが離職の原因にもなっていることがうかがえる」(同協会)。

医療事故の内、医療従事者・医療機関の過失により起きた事象

ヒヤリハット事例を集めた「インシデントレポート」は本来、病院内で情報を共有化し、事故を防ぐための教訓にすることが目的だ。ところが、看護師たちの間では、レポートの書き手が不当に看護師に集中しているとの不満の声が少なくない。

レポートは原則ヒヤリハットを経験したスタッフが書くが、なかには複数の関係者がかかわっていて、一人の責任に限定するのは難しい事例もある。にもかかわらず、レポート作成を押し付けられるのは、決まって看護師だというのだ。

本来、再発防止のための報告書が看護師個人の責任を問う「始末書」のようになってしまっているという。

千葉県内の自治体病院に勤務するある看護師はこう憤る。「例えば、病院内のマニュアルでは経管挿入は医師がやるべきと決まっているのに、医師に命じられた看護師が挿入したケースでも、問題が起きれば看護師のせい。

医師と看護師と薬剤師がそれぞれに薬剤をチェックしていても、チェック漏れが見つかれば看護師のせい。実際に医療事故が起きたときもインシデントレポートと同様、安易に看護師に責任を押し付ける傾向があるように感じます」

この看護師はチューブの挿入ミスを犯したAさんと面識はないものの、医療事故については新聞報道などを通して知っていた。

「栄養剤を注入した看護師一人だけが責任、しかも刑事上の責任まで問われたのは、違和感があります。キャパ(容量)を超えた看護業務をこなして、ミスを犯しても、だれも守ってくれない。そんな職場で働き続けることは、とても不安なことです」

訴訟リスクに立ちすくむ外科医

いつからそうなったのかと問われると、明確な記憶はない。

ただ、気がつくと、手術をするのが「楽しくなくなっていた」ユウスケさん(30歳代、仮名)は国立大の医学部を卒業後、大学病院や地方の系列病院で研修医として経験を積んだ後、呼吸器外科医の道に進んだ。

外科研修医生活は激務だ

病院によっては一人で集中治療室(ICU)の管理を任され、多いときは週3~4回のペースで主治医として手術をこなした。術後の管理は原則、主治医が責任を持つため、帰宅後も投薬指示や容態確認と気が抜けない。

「いわゆる『36時間連続勤務』は普通にありました。病院の机で仮眠するだけの日が続くと、病院で暮らしているのと変わらないなと思ったものです。残業代なんて、ほとんどつきませんでしたから、年収は500万円くらい。安いものです」

それでも、こうした生活をつらいと思ったことはなかった。むしろ、難しい手術を担当したり、「修羅場」に直面したりすると、がぜん気持ちが奮い立った。

新しい症例に立ち会う機会があれば、疲労困億していても、積極的に名乗りを上げたところが、次第にメスを握ることに魅力を感じなくなっていった。

医療事故をめぐる訴訟リスクへの恐怖

「気がつくと、どうすれば訴えられないか、どうすればハイリスクの手術を避けられるかということばかり考えるようになってしまいました。『訴えられるのが怖いから』というよりは、『訴えられるかもしれないという思いを抱きながらメスを握っても楽しくない』というのが、正確な心境でした」

医師不足のなか、多くの医師が体力的にも、精神的にも限界のところで医療現場を支えている。一方で、患者側の「よりよい治療を受けたい」「ミスは許さない」といった権利意識はかってなく高まっている。

ユウスケさん自身、当直のときにこんな経験をした。

腹痛を訴える男性が来院したとき、検査では異常が見つからなかったため、痛み止めを処方し、「明日、もう一度来てください」と伝えて帰宅してもらった。

たが、結局この男性は現れず、数週間後、自宅で亡くなっているのを家族に発見されたのだという。家族は一時、診断ミスの可能性を指摘。

病院側は一貫して対応に問題はなかったと主張したため事態は収まったが、思えば、ユウスケさんの心に訴訟リスクとの言葉が陰を落とすようになったのは、このころからだったかもしれない。

「医療行為において、完全に正しい結果を予測することなんてできません。だからこそ、経験と技量と知識を総動員して、確率的に正しいと思われる選択を積み重ねていくんです。それなのに、最近は、患者が結果だけをとらえて過失やミスを訴える傾向が強まっている気がします。マスコミの論調もそれをあおっています」

次第に、あれだけやりがいのあった手術の魅力が消えうせていった。そうなると、過労死寸前の労働環境は苦痛でしかない。ユウスケさんは結局、外科医になることをあきらめた。

医療事故の責任転嫁に抗議の退職

甲信越地方の自治体病院で神経内科医として勤務していたトオルさん(50歳代、仮名)も訴訟リスクに嫌気が差して職場を去った一人だ。きっかけは同僚の循環器内科医が医療ミスの責任を問われたことだった。

この医師は血管の中にカテーテルという細い管を入れて行なうカテーテル手術の実績が豊富だったが、ある手術の最中、血管が裂け、患者が亡くなってしまったという。

トオルさんによると、カテーテル検査や手術では、たとえ医師による過失がなくても血管が裂ける事故は一定の割合で起きてしまう。「問題は事故が起きたときに緊急外科手術に切り替えられる態勢がなかったこと。

現場の医師たちは日ごろからバックアップ体制を整えてほしいと要望していましたが、自治体側が財政難を理由に腰を上げようとしなかったのです」

ところが、病院と自治体は事故後、早々に事故の原因を循環器内科医のミスと認定した。

医療事故で医師の責任が問われることは珍しくない

こうしたスピード認定の背景には、医師の過失を認めれば、患者や遺族への補償を医師賠償責任保険から賄うことができるという事情もあると言われる。

トオルさんは後日、自治体担当者の一人が「(事故は)自治体のカネに一銭も手をつけずに解決しましたよ」とまるで手柄話でもするかのように話しているのを耳にした。

ミスを間われた医師は解雇こそ免れたが、結局は病院を去った。

トオルさんが勤めていた病院は救命救急センターとして三次救急を担っており、医師たちは典型的な過重労働のただ中にあった。「これが医者の使命だと思ったから、皆頑張っていた」。

にもかかわらず、自治体と病院は自らの「懐」と面子を守るために、優秀な循環器内科医を切り捨てた。

彼の中で、そんな疑念がふくらんだ。

トオルさんは本来なら、派遣元の大学病院に戻り、研修医らの指導医になる年齢に差し掛かっていたが、退職を決断。現在は高齢者のリハビリなどを担う慢性期病院で働いている。

「自治体や病院に対する抗議の退職でした」と言う。

訴訟リスクや医療ミスに伴うトラブルに嫌気がさして、優秀で意欲もある医師が第一線からこばれ落ちていく。

日本病院会が全国の勤務医を対象に行なった意識調査では、ヒヤリハットを含む医療過誤の原因(複数回答)について、70,3 %が「過剰な業務による慢性的な疲労」と答え、最も多かった。

次いで「患者が多く一人当たりの診療時間、密度が不足」(62,8%)、「医療技術の高度化、医療情報の増加による医師の負担増」(57.8%)の順番だった。

また、医療過誤に伴う訴訟や交渉である「医事紛争」の経験の有無については、6,4%が「訴訟された」、19,5%が「紛争にはなったが訴訟はされなかった」と回答。

これらを合わせると25,9%、つまり4人に1人がなんらかの医療トラブルを経験していることがわかった。医事紛争が多い診療科は心臓血管外科や産婦人科。

また、紛争後の影響としては、「防衛的・萎縮診療になりがちになる」が7割に上った。

さらに、勤務医不足の原因については、一位の「過酷な労働環境」、二位の「新臨床研修制度」に次いで、「国民、マスコミの医療に対する過渡な安全要求」が三番目に多かった。

医療の現場を萎縮させる訴訟リスク。ユウスケさんやトオルさんを含む医師の多くが、医師の「逃散」のきっかけのひとつになったとして指摘する医事紛争がある。「福島県立大野病院事件」だ。

警察、司法、マスコミヘの不信感

「福島県立大野病院事件」では、2004年、福島県大熊町の同県立大野病院で、前置胎盤にともなう帝王切開手術を受けた女性が、手術中に亡くなった。

福島県側が設置した医療事故調査委員会が「医療側に過失があった」と認めたことをきっかけに、マスコミ報道などに火がつき、手術を担当した産婦人科医が業務上過失致死容疑などで逮捕、起訴された。

医療事故関係届け出件数と立件送致数の推移(警察庁発表による)

参考:周術期事故の現状と対応策

一方、手術の経緯をめぐっては、医療関係者を中心に当初より「医師の過失」との判断を疑間視する声が上がっていた。日本産婦人科医会や全国各地の保険医協会、医療関係者でつくる労働組合などが相次いで医師の逮捕に抗議する声明を発表。この産婦人科医を支援する医師たちによるグループも発足した。

当時、同病院は二次救急病院に指定された地域の中核施設。

常勤の産科医はこの医師だけで、いわゆる「一人医長」として過重な業務をこなしていたとみられることや、医師が事前に女性側に対し、より設備の整った大学病院での分娩を勧めていたとされることなどからも、医療関係者を中心に医師への同情論が高まった。

裁判では、2008年8月、福島地裁が無罪判決を言い渡し、検察側が控訴しなかったため、地裁判決が確定した。

無罪確定後は、医療関係者らの間で、警察や検察、メディアヘの不信感が深まった

警察は「調査に協力的だった産婦人科医を逮捕までした」、検察は「十分な医療知識がないにもかかわらず起訴に踏み切った」、メディアは「遺族側の言い分ばかりに耳を傾け、専門的な見識を欠いた報道を垂れ流した」などとして批判された。

また、事件後に全国の病院で産婦人科が相次いで閉鎖されたとして、医師の逮捕や裁判が「医療崩壊」の引き金となったとの指摘も相次いだ。

やがて、一部のインターネットの掲示板やブログでは、「医療行為に対する業務上過失致死罪の適用を除外するべきだ」との主張も出現。さらには、裁判やメディアを通して病院や医師を糾弾した遺族にまでバッシングの矛先が向けられるようになった。

医療関係者が医師の逮捕や裁判により、医療崩壊や医師の「逃散」につながったと指摘する医療事故はほかにもある。

1999年、東京都杉並区の盆踊り会場で、4歳の男児が転んだ拍子に手に持っていた綿あめの割り箸がのどに刺さって亡くなった「杏林大学割り箸死事件」。

診察にあたった杏林大学医学部付属病院の耳鼻咽喉科医は業務上過失致死容疑などで起訴された。2006年、奈良県の「大淀町立大淀病院事件」では、同病院で出産中だった女性が脳出血を起こし、その後、転送された病院で出産後に死亡。

いずれの事件でも、遺族は医療機関と医師を相手取り損害賠償を求める訴訟を起こした。

杏林大学事件の特徴のひとつは、手術など積極的な治療の結果ではなく、割り箸の一部が脳内に残っていることを発見できなかった、いわゆる「不作為の医療行為」が問われたことだと言われる。

多くの医師の間に「『何もしなかった』ことを理由に結果責任を追及されるのであれば、医療は成立しない」との衝撃が広がった。また、大淀病院事件では、病院側がミスを認めていないにもかかわらず、マスコミが「医療ミス」「たらい回し」と報道したことから、メディアヘの不信感が噴出した。

大野病院事件と同じく両事件ともに、裁判では医療機関と医師の無罪と勝訴が確定している。

業務上過失致死罪適用除外、遺族バッシングまで医療界では、「福島県立大野病院事件」と「杏林大学割り箸死事件」、「大淀町立大淀病院事件」にはいくつかの共通点があるといわれる。

マスコミ報道が必要以上に扇情的だった

さらに、裁判になったものの、最終的に刑事、民事ともに医療側が「勝利」したことだ。このため、患者やメディアの過剰な安全要求が現場に与える悪影響や、医療行為への業務上過失致死罪の適用除外を訴えるときの根拠として、これらの事件が持ち出されることが多い。

確かに、メディアヘの批判は同業者として耳を傾けるべき点が多い。しかし、医療行為だけを業務上過失致死罪の適用から除外とすることは、果たして適切なのだろうか。

医師らでつくる労働組合、全国医師ユニオン代表の植山直人さんは「ただ単純に医師だけを特別扱いすることは難しい」としたうえで、こんな提案をする。

「医療ミスの背景には、労働基準法と医師法、刑法の三つの法律との関係があります。労基法は残業時間を規制していますが、これが多くの病院で守られていません。それから、医師法には応召義務が定められていて、医師は原則、診療を拒むことができません。そして、刑法の業務上過失致死罪。つまり、医師は法律無視の過重労働のなか、診療を断ることも許されず、そんな状況でミスを犯しても、刑事罰はきっちり間われる。これでは、医師にとっても酷な話です。まずは、労基法遵守。そして、万が一、違法な過重労働があれば、医師は場合によって診療を断ることができる、あるいは一部の刑事責任は免責される、といったルール作りを検討することが必要なのではないでしょうか」

医療ミスを訴えた患者や遺族まで批判する風潮に違和感を覚える

一部のインターネットブログやテレビ番組は、一連の事件の遺族らについて「私的な復讐心を満たしたいだけ」「医療崩壊を招いた元凶」と糾弾。

なかには「醜い裁判沙汰」「医療知識なきトンデモ訴訟」「(大淀町立大淀病院事件で)脳出血で母体が死ぬリスクが理解できない夫に妻を妊娠させる資格なし」などの中傷もあった。

医療ミスや医療過誤訴訟が報道や書籍などで取り上げられるようになったのは、主に1990年代に入ってからだ。これをもって、一部の関係者は「医療バッシングが増えた」と言うが、正しくは、それまで表ざたにならなかった医療ミスが顕在化したにすぎない。

卑近な事例になるが、婦人科にかかったとき、医師から直近の生理開始日を聞かれたので手帳を見ながら答えようとすると、「早く答えて」と怒鳴られたという。

検査の内容や結果をこちらが尋ねるまで教えない医師もざらにいる。また、すでに意識がなく、だれもが臨終が近いと思っていた親類は最期、若い医師に気管挿管された直後に亡くなった。

後で看護師から「必要ない措置だった」と打ち明けられたため、親族の間では「練習台にされたんだ」ということになっている。

モンスターペイシェント(患者)が増えている

現場を萎縮させているとの指摘は否定しない。ただ、それと同じく、「モンスタードクター」もいるということだ。

以前に比べて、患者側が一部の医師の不遜な態度や倫理観の欠如に対して声を上げ始めたことは、むしろ健全なことだ。問題があるとすれば、事実関係を裏付けることなく、患者。

遺族側の言い分だけを垂れ流した一部のマスコミの報道だろう。

報道を止めることが目的としか思えない提訴にストレスは感じるが、司法の場で自黒をつける権利はどんな場合でも保障されるべきだと考える。

医療過誤訴訟で患者側が敗訴するたびに、「裁判を起こすべきではなかった」といった主張が出てくるのは傲慢で危険な風潮なのではないか。

福島県立大野病院事件では、遺族が公判や記者会見などで病院や医師を糾弾したことを問題視する声もあったが、係争相手を批判するのは当たり前だ。敗訴判決に納得できないと訴えるのも自由だろう。

 

福島県立大野病院産科医逮捕事件(ふくしまけんりつおおのびょういんさんかいたいほじけん)は、2004年12月17日に福島県双葉郡大熊町の福島県立大野病院で帝王切開手術を受けた産婦が死亡したことにつき、手術を執刀した同院産婦人科の医師1人が業務上過失致死と医師法違反の容疑で2006年2月18日に逮捕、翌月に起訴された事件である。WikipediaWikipedia
福島県立大野病院

不測の事態の下で大切な家族をなくせば、だれもが関係者を追及したり、感情的になったりすることがあるはずだ。一連の事件に対する判決は妥当だと思う一方で、遺族の発言や態度をことさらに咎めたてる社会は不寛容だとも思う。

また、この事件をめぐっては「事件をきっかけに産婦人科が減った」との指摘を耳にする。

しかし、厚生労働省の統計によると、産婦人科を標榜する病院はこの20年近く、一貫して減り続けている。2000年以降、前年比の減少率は1%代後半から3%代前半を推移しており、特段、事件による著しい影響があるようには見えない。

大野病院事件の舞台となった福島県大熊町。太平洋を望むのどかな海辺の町だが、東日本大震災では放射性物質漏れが起きた福島第一原発の所在地としても全国に名前を知られることになった。

事件後、福島県が赤字経営を理由に県立大野病院を統廃合する方針を打ち出したこともあり、地域には今も「(遺族のせいで)医師が逃げて病院がつぶれた」という不満がくすぶっているという。

医療トラブルの最も大きな原因は、現場の過重労働を放置した国や自治体の政策にこそある。医師と患者、マスコミの間の溝ばかりが深まることほど、不毛な対立はない。

トラブルを恐れて診療体制を縮小

今回で驚いたことのひとつは、医師のマスコミ不信の根深さだった。

医師「医療を崩壊させたのは、あなたたちマスコミですよ」「一部の報道に問題があったことは事実ですが、すべてではないですよね」

医師「遺族の話ばかリセンセーショナルに取り上げて。医師の主張は全然、載せないじゃないですか」

マスコミ「確かに、安易な医師、病院批判に走った報道がありました」

医師「医療の専門知識がない人が医療の問題を書くから、こんなことになるんですよ」

マスコミ「でも、医療の専門家ではない記者にもわかるように話をすることで、初めて社会に訴えることもできるのでは……」

医師の一人が大阪市内のある民間総合病院で産科医長として働くヤヨイさん(52歳、仮名)だ。彼女も福島県立大野病院事件にショックを受けた一人。

 この程度で逮捕までされるのかと怒りがわいた

この病院では、事件後、「取扱注意」と押印された書類が回覧された。書類は院長名で、今後は前置胎盤や高血圧症候群など一部のハイリスク妊婦の分娩は行なわないこと、定期検診を受けていない「駆け込み」分娩は断ること、難産につながりやすい助産院からの転送はできるだけ断ることなどの方針が記載されていたという。

「普通、事務連絡はメールですが、外部に漏れたりしないよう、書面にしたんだと思います。タイミングからみても事件がきっかけだったことは間違いありません」

ヤヨイさんが勤める病院では年間約600件の分娩を扱ってきた。

常動産科医は彼女を含めて2人、非常勤医もいるので、単純に割ることはできないが、医師1人当たりの分娩数は年間170件前後だという。

日本産婦人科学会はリスク管理などの面から、常勤医1人当たりの分娩取り扱い件数は年間約150件までが望ましいとしており、ヤヨイさんらの勤務実態はこの基準を上回っていた。

加えて、分娩数は増加傾向にあった。近隣で分娩を取りやめる病院が増え、そのしわ寄せを受けたためだ。それでも、医長であるヤヨイさんの方針で、病院ではリスクをともなう分娩も積極的に受け入れてきた。

「『おめでとう』と言える仕事だと考え、産科医を選びました。ハイリスク分娩を受け入れたのも、もちろん、診療報酬上の加算が付いて収益になるという理由もありますが、それ以上に産科医の使命だと思ったからです」

慢性的なオーバーワークはモラルハザードすれすれの事態を招くこともある

ある日の当直、臨月まで順調だった女性を急きょヤヨイさんが手術することになり、助手を確保するか、手術をあきらめて専門病院に転送するかの決断を迫られた。

このときは、助手も、搬送先も見つからず、やむを得ず、すでに飲酒していた常勤医の一人を呼び戻し、手術に立ち合わせたという。また、産科医はお産の予定日だけでなく、その前後も早産など不測の事態に備えるため、長期の休暇が取りづらいという。

ヤヨイさんはかねてから子宮筋腫を患い、手術の必要があったが、勤務のやりくりがつかず、手術を受けることができたのは、診断から一年後のことだった。

日々、綱渡りでやりくりしていた矢先に起きたのが、福島県立大野病院事件だった。

これでは、患者のために頑張れば、頑張るほどリスクを負うことになってしまいます。

飲酒した部下を助手にしたケースでも、マスコミは事故が起きればモラルハザード、受け入れ先が見つからなければたらい回しだと叩くでしょう。この事件をきっかけに、多くの現場が訴訟リスクに及び腰になってしまったのは事実です。

その後、彼女の病院では、回覧文書に従い、リスクを伴うお産の一部は断ることを決めた。

分娩件数は三分の二まで減少。断られた妊婦の多くは近隣にある公立の周産期専門医療機関へと流れたという。

まとめ

上記に、福島県立大野病院事件をきっかけに産婦人科が減ったという事実は統計上は見られないと書いた。しかし、統計には表れないところで、防衛、萎縮医療が進み、産婦人科医療の実態は縮小している可能性は否定できない。

増え続けるモンスターペイシェントに、守ってくれない病院に、バッシングに走るメディア。こうした認識が正しいか否かは別にして、これが、疲れ果て、訴訟リスクに立ちすくむ医師、看護師から見える光景であることは間違いない。

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