医療費亡国論は医療の現場を疲弊させた原因とまで言われる吉村論文

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医療費狙い撃ちは小泉構造改革の爆弾。

日本の医療を疲弊させた最大の「戦犯」として、たびたび耳にしたキーワードのひとつが「医療費亡国論」だった。

旧厚生省官僚の吉村仁さんが保険局長だった1983年に発表した論文のことだ。

医療費の増大が将来、日本を滅ぼすことになる。医療関係者の間では、この主張が現在の「医療崩壊」を招くきっかけになったと指摘する人は多い。

真偽医療制度改革~医療を疲弊させたは医療費亡国論

医療費亡国論(いりょうひぼうこくろん)とは、日本で当時の厚生省保険局長吉村仁が 1983年(昭和58年)1月31日の全国保険・年金課長会議において発表した「医療費増大 は国を滅ぼす」という論のことである。Wikipedia
医療費の伸び率。

論文は社会保険研究所が発刊する雑誌「社会保険旬報」(1983年2月号)に寄稿された。さぞや分厚い力作なのだろうと想像していたが、手に入れた論文は意外にもたったの3ページ。

果たして、本当にこれが、日本の医療崩壊の元凶とまで言われる「吉村論文」なのか。

論文は、このまま医療費が伸び続けると、社会保障費の負担が増大して日本社会の活力が失われてしまうので、医療費は総枠として抑制するべきだとした「医療費亡国論」と、治療中心から予防、健康管理などに重心を移すことで医療の効率化を図るべきだとした「医療費効率逓減論」、医師の供給と患者の受診が過剰であるから、医学部の定員見直しと不必要な受診の抑制を図るべきだとした「医療費需給過剰論」の三つの視点から構成されている。

しかし、わずか3ページでは、論文というよりは私見だ。

医療崩壊の元凶吉村論文は吉村さん独自の持論というわけではなかったともいわれる

当時の厚生省を中心とした霞が関官僚の主張や思惑を代弁したものにすぎないというのだ。

当時、保険医療政策のエキスパートだった吉村さんは、それまでだれも手を付けられなかった医師の優遇税制是正や医療費の自己負担導入を、医師会などあらゆる方面の反対を抑えて実現させたことで知られる。

政治家との直談判にも臆することなく、その押しの強さは永田町界隈でも広く知られていた。厚生省はこの名物官僚に「論文」という観測気球を上げてもらうことで、増大の一途をたどっていた医療費の抑制へと舵を切ろうともくろんだのだろう。

1986年には、厚生省の「将来の医師需給に関する検討委員会」が1995年を目途に医師の新規参入を10%程度減らすよう提言したのに続き、1995年度には厚生省が国民向けに医療費増大の危機感をあおった。

医師需給に関する検討委員会。

参考:メディ・ウォッチ | データが拓く新時代医療

厚生省(当時)が2025年の医療費は141兆円に膨れ上がるとの推計を公表した

また、1990年代後半以降、薬価などを含む診療報酬全体の改定率をマイナス基調に転換。1997年には医師養成数の削減方針を閣議でも決定するなど、「論文」が発表された1980年代前半を境に、国は医療費抑制のための政策を矢継ぎ早に繰り出すようになった。

医療費狙い撃ちは小泉構造改革の爆弾

実際の医療費はどのように変遷してきたのか。

厚生労働省がまとめた「国民医療費の概況」によると、2008年度の医療費は24兆8084億円。

国民医療費・対国内総生産・対国民所得比率の年次推移

参考:厚生労働省厚生労働省

小泉政権における医療政策を総括すると
「痛み分け」「三方一両損」という構造改革のキャッチフレーズに反して、国民が一方的に損をかぶった格好になっている。
人の生命に直結する医療は、よりよい制度とするための改革はもちろん必要であるが、決して変えてはいけない部分がある。それは、国民皆保険制度とフリーアクセスであり、これを崩壊に導きかねない、給付の縮小や、自己負担の引き上げ、療養病床の再編といった政策が小泉政権下で次々打ち出されてきた。
「破壊なくして創造なし」というのは小泉前総理の持論だが、医療については破壊のみで終わった感が否めない。新たに発足した安倍政権においては、「医療は国民の生命と生計の安心を支える国家安全保障である」という共通認識のもと、建設的な議論を重ねて行けることを望みたい。日本医師会日本医師会

初めて統計が発表された1954年度の約2152億円以降、増加の一途をたどり、現在は当時の160倍以上を超える規模に達している。その勢いは、国が「医療費亡国論」を唱え始めた1980年代以降も衰えた様子はない。

国民所得に占める医療費の割合も1955年度(対国民所得比のデータは同年度から収集) の3,42%から、2008年度は9,90%にまで伸びた。

ところが、1990年代後半になると、医療費の伸びは徐々に、鈍化する。介護保険制度がスタートし、一部医療費が介護保険に移行した200年度には、初めて前年度を下回った。

また、診療報酬本体(医師や歯科医師らへの技術料など。医薬品などの薬価部分を含まない)が初めてマイナス改定となった2002年度も前年度比で減少。2006年度も伸び率は0%にとどまった。

200年度に入ってから、医療費の伸びが抑えられた背景には、いわゆる「小泉構造改革」による一連の「医療制度改革」がある。小泉純一郎元首相が政権を担った2001年四月~2006年九月の5年半、診療報酬本体は2002年度に初めて1,3%のマイナス改定となったのに続き、2004年度はゼロ改定、2006年度は1,36%と過去最大の引き下げ幅を記録した。

診療報酬のマイナス改定。

ゼロ改定を含む3回連続のマイナス改定が医療機関の経営に与えた影響は大きく、小泉元首相の剛腕ぶりを見せつけると同時に、日本医師会の政治力の低下を浮き彫りにした。

国民医療費を支える財源構成をみると、家計負担がほぼ横ばいで推移しているのに対して、事業主負担はここ10年減少を続けている。小泉政権が発足した2001年以降、その傾向はより顕著になった。

国民医療費の財源別構成比。

参考:日医総研ワーキングペーパーNo.135 「国民医療費・老人医療費・介護費の現状分析と将来推計(2004年度版)」前田由美子

小泉政権下で成立した医療制度改革関連法

2002年度には、サラリーマンの窓口負担を2割から3割へ引き上げることや、70歳以上の高齢者について定率負担を導入するなどとした法案を可決。

続く、2006年度には、

  1. 現役並みの所得を得ている七〇歳以上の窓口負担を2割から3割に引き上げる
  2. 70~74歳の窓口負担を1割から2割に引き上げる
  3. 75歳以上を対象にした新たな医療保険制度(後期高齢者医療制度)を創設する

などの方針を盛り込んだ法案を成立させた。

一連の改革からは、「医療」側と、高齢者を中心とした「患者」が痛みを分け合ったことはわかる。しかし、このとき、小泉元首相がさかんに口にしていたキャッチフレーズは「三方一両損」だったはずだ。

結局、ふたを開けてみると、「三方」のひとつであるはずの「国」が痛みを引き受けた様子がうかがえない。

また、この間の診療報酬改定では、看護師の「7対1配置基準」など看護師を手厚く配置して、平均在院日数を短くすれば、医療保険からより多くの支払いを受けられる仕組みも導入された。

しかし、これまでも報告してきたように、この仕組みは看護師争奪戦を誘発、地方都市にある中小規模の公的病院は都心部の大規模病院による人材の草刈場にされただけだった。

小泉政権下では、研修医が自由に研修先を選べる「新臨床研修制度」(2004年)や、「国立病院の独立行政法人化」(同年)もスタート。さらに、国と地方公共団体の行財政システムを見直す「三位一体改革」の下では、地方交付金が減額され、自治体病院の経営を逼迫させた。

一連の医療政策では、七対一配置基準や新臨床研修制度などのように、大規模病院によるスケールメリットを生かした取り組み次第では収入が増える「アメ」も用意された。

しかし、地方の公的病院では高齢の慢性期疾患が多く、研修医をひきつけるだけの最新の機器や症例も少なく、「アメ」の恩恵などはほとんど受けられなかったと思われる。

医療制度改革と郵政民営化が小泉元首相が成し遂げた重要政策だった

小泉元首相。

この2つに共通している背景のひとつは、財界とアメリカからの強い要望があったことだ。

奥田碩経団連会長(当時)は企業の社会保障費の負担を軽減させるために「奥田ビジョン」で医療費圧縮を提言。外資系保険会社などの意を受けたアメリカ政府は日本政府への「年次改革要望書」で医療分野の規制緩和や患者の自己負担増大につながる政策の実施を求めていた。

財界やアメリカの意向をどこまで汲んだかはともかく、一連の医療制度改革による痛みを背負わされたのは、結局、郵政民営化と同じく、現場を支える働き手と、高齢者やへき地で暮らす住民だったのではないか。

一方で、多くの関連法が施行されたのは小泉元首相の退陣後だった。

いざ、「改革」がスタートする段になって、熱烈に小泉政権を支持したはずの世論から反発がわきおこり、以後の自民党政権崩壊の要因のひとつとなったことは皮肉にもみえるし、つかみどころのない世論のあやうさも見せつけた。

日本の医療費はそこまでして抑えなくてはならなかったのか

日本の医療費を年齢階級別に見ると、65歳以上が約18兆9999億円で全体の54,6%と半分を占める。

一人当たりの医療費も65歳以上になると、64歳未満の4,5倍になる。年を取れば、病院にかかるお金が増えることは当然のことであり、高齢化が急速に進む日本で、医療費がある程度伸びるのは、やむを得ないことなのだ。

OECDとは?経済協力開発機構は、ヨーロッパ、北米等の国々によって、国際経済全般について協議することを目的とした国際機関。 本部事務局はパリ16区の旧ラ・ミュエット宮殿に置かれている。公用語は英語とフランス語。事務総長はアンヘル・グリア。Wikipedia

また、OECD (世界経済協力機構)が公表している「OECDヘルスデータ2010」によると、日本の「総保健医療支出」が国内総生産(GDP)に占める割合は8,1%と、31カ国中32番目。

OECD平均の9,0%を一ポイント近く下回っている。また、日本の国民一人当たりの保健医療支出は2729ドルで、OECD平均を下回っているほか、保

健医療支出の増加率も日本は2,2% (2000~2007年)で、OECD平均4,2%(2002008年)に比べて半分の伸びにとどまっている。

各国の保険制度などが異るため、一概に比較することは難しい。ただ、経済規模からみれば日本の医療費の割合は決して高くはないし、高齢化のスピードのわりには増加率も小幅にとどまっているといっていい。

にもかかわらず、小泉政権下ではなぜ医療費ばかりが狙い撃ちにされたのか。突然の伸び率鈍化は、現状を無視した強引な急ブレーキの跡のようにもみえる。

医師数抑制人口当たり水準は世界平均3分の2

医療費を抑えるのに最も有効な手立てのひとつは、人件費を抑制すること、つまり医師や看護師の数を減らすことだ。現在の「医療崩壊」の最大の原因は「医師不足」とも言われているが、医師数をめぐる政策はどのように推移してきたのか。

政府は第二次世界大戦後、一貫して医師増員政策を取ってきたが、1980年代前半を境に方針を転換した。

1982年の閣議で医師数を抑制する方針を初めて決定したのに続き、19997年にも方針の継続を閣議決定。この結果、文部科学省のまとめでは、全国の医学部入学定員は1984年の8280人をピークに減り続け、2007年度には7,9%減の7625人にまで落ち込んだ。

現在、医師総数の増加ペースは毎年3500~4000人にとどまっており、厚労省の調べでは、2008年の「届け出医師数」は28万6699人だった。

一方で、OECDヘルスデータによると、日本の人口1000人当たりの医師数は二上人に対してOECD平均は32人。日本は平均の3分の2の水準にとどまっている。推移を比較すると、1960年代なかばまでは日本もOECD平均も、ともに1,02人前後でほとんど変わらなかったが、その後、年々差が開いていった。

OECD諸国が人口増や医療技術の進歩、高齢化などに合わせて医師を増やしていったのに対し、日本は反対に抑制に向けて政策を切り換えたためだ。

また、一連の医療制度改革とは別だが、2004年、研修医が自由に研修先病院を選べるようになった「新臨床研修制度」がスタートし、研修医が都会の大病院を希望するようになると、地域の医師不足に拍車がかかった。

研修医に選ばれなかった地方の病院にとっては、医師数の抑制策と併せ、二重の痛手となった。

日本の医師不足は勤務医不足のことだ

その実態は、総数自体はかろうじて増えているものの、その増員スピードが医療技術の高度化など社会の変化に見合っていないということと、地方の小中規模病院に勤める医師が減ったことにある。

一方、医療現場を医師とともに支える看護師について。厚生労働省のまとめによると、2008年の「就業看護師数(准看護師を含む)」は125万3224人で、この10年間で26万6403人増えた。

こちらは、OECDヘルスデータにおける人口1000人当たりの看護師数を見ても、日本はおおむねOECD平均に近い値を推移しており、2010年版では9,5人と、平均の9,0人を上回った。

ただ、患者一人当たりの受診回数や救急病床数、高度医療機器の普及割合がOECD中トップ水準であることを考えると、看護師の負担も国際的に見て軽いとはいいがたい。

少し古いデータになるが、世界保健機構(WHO)が2000年に発表した「ワールド・ヘルス・レポート」によると、乳幼児などの死亡率の低さや平均寿命の高さなどを総合的に判断した結果、日本の医療提供体制はトップの評価を受けた。

多くの医療関係者はこのデータをもってして「安い医療費で、世界トップレベルの医療を提供することができたのは、医師や看護師の犠牲的精神によるものだ」として胸を張る。

しかし、最近は「それももう限界」との悲鳴のほうが大きくなりつつある。

医療崩壊そして再び医師数、診療報酬アップヘ

これまでの流れを振り返ると、日本の医療政策には、まず、高度成長期の上昇基調に比例した「右肩上がり」の時代があった。続いて、1980年代前半、将来の財政負担に気がついた政府が医療費や医師を抑制する政策へと方針転換。

これにより、医療費のGDP比や人口当たりの医師数は国際的には低水準にとどまるなど、見えないところでひずみは広がっていった。そこへ、小泉政権による医療制度改革。医療現場は一気に破綻した。

医師や看護師の過労死、自殺、人的資源の「逃散」、自治体病院の突然死

深刻な事態を前に、2000年代後半に入り、政府は慌てふためき、再び方針転換を図り始めたようにみえる。

政府は、マイナス改定続きだった診療報酬について、2008年度には、薬価などを含まない本体部分の改定率を0,38%と、8年ぶりに引き上げることを決めた。

続く2010年度の改定でも、本体部分で1,55%、薬価などを含む診療報酬全体でも0,19%、いずれもプラス改定。診療報酬全体がプラス改定されるのは2000年度以来、10年ぶりのことだ。

2010年度の診療報酬改定では、「妊産婦緊急搬送入院加算」の点数を引き上げたり、「小児入院医療管理料」を充実させたりするなどして、医師不足が深刻な産婦人科や小児科に手厚く配慮したほか、 一部の加算については、勤務医の負担軽減の体制づくりを取得の要件とした。

また、医師数についても、従来の抑制策を撤回。文部科学省は2009年度、医学部定員を過去最高の8486人に増やしたのに続き、2010年度には8846人とさらに増員。

2009年に政権交代を果たした民主党もマニフェストに「OECD平均の人口当たり医師数を目指し、医師養成数を1,5倍にする」との文言を盛り込んだ。

これを受け、公立はこだて未来大学など一部大学では医学部新設の動きも出てきている。

しかし、医学部新設による養成数の増加については、日本医師会が難色を示した。増加幅についてもT五倍ではなく、「中長期的に1,1倍から1,2倍にするのが妥当」との見解を提示。

医学部新設には教員確保が必要となり、結果的に臨床の現場からさらに医師を引き上げぎるを得なくなることや、今後は人口減少社会に入ることなどを踏まえて増員幅は慎重に検討するべきだと主張したのだ。

地域の医師偏在を解消するためのシステムづくりが医学部新設よりも優先すべき課題になった

一人前になるのに10年はかかるといわれる医師の増員目標を定めるには、確かに長期的な視点での判断が必要になるだろう。

一方で、医師不足解消の「即効薬」としては、医師による労働組合・全国医師ユニオンが提案するように、現在の異常な長時間労働やサービス残業をなくせば、勤務医を辞めて診療所や非常勤に移った医師の相当数が戻ってくると思われる。

医師養成数を増やすことも大切かもしれないが、まずは「逃散」した医師を呼び戻すことが先決だ。

また、地域偏在を是正するには、筆者は国が権限を持って適正配置に乗り出すしか術はないと考える。

日本病院会が勤務医を対象に行なった意識調査では、「へき地病院に勤務したいか」との質問に、「勤務したい」と答えたのは、わずか2,3%だった。

一方で「条件が合えば勤務したい」との答えも30,3%あり、具体的な条件としては「当直回数や休日の確保」「子どもの教育等家庭の問題」が上位に挙げられた。

ただ、地方の自治体担当者らから話を聞くと、当直回数などについては交渉の余地があるのだが、家庭の問題として「子どもを中高一貫の私立学校に通わせたい」「妻がデパートのある街がいいと言っている」などと言われると、もうお手上げなのだという。

そもそも、多くのへき地にはそういうものはない。

「条件が合えば」という医師が掲げる条件の多くは、地方の自治体にとつてはハードルが高すぎる。

こうした話になると、一部の医師からは「職業選択の自由に反する」との声が上がる。

しかし、例えば、イギリスやスウェーデンでは医師の一部は公務員で、国や地方機関が地域ごとに需給を調整している。公務員医師の収入が低いなどの問題はあるものの、日本のような都市と地方の間で格差が生じる可能性は少ない。

何より「自由」を認めてきた結果が現在の医師の「空白地域」を生み出した一因となったことは否めない。医師が貴重な人的資源である以上、国や公的機関による主導権の下で偏りを是正するしかない。

すでに、日本医師会の諮問委員会や一部の閣僚は「若手医師のへき地勤務義務化」に言及しており、こうした手立てしか解決方法はないと思われる。

医療費の患者の負担はどうあるべきか

2000年代後半の診療報酬のプラス改定や医師数増加などは、小泉構造改革によって激しくぶれた振り子の振幅を調整することが、とりあえずの目的となっている。

考えなければならないのは、今後も長期的に医療費やマンパワーを増加する路線を取っていくのか、それとも、いずれは小泉政権時代のような抑制策を基調としていくのか、ということだ。

広島国際大学医療経営学部教授で『医師の過重労働 小児科医療の現場から』(勁草書房)の著者、江原朗さんは現在の医療サービスの現状についてこう指摘する。

「これまでの日本における、だれもが、いつでも、どこでも、安い費用でかかることができる医療は、WHOが評価するように世界一の水準だったといっていいでしょう。しかし、そうした医療サービスは医師をはじめとした医療従事者の過重労働やサービス残業によって支えられてきたものです」

かって小児科の勤務医でもあった江原さんは長時間勤務や軽症患者の時間外受診などを身をもって経験してきた。著書では、小児救急外来における時間外や休日、深夜の受診動向や、医師の労働時間の国際比較、長時間労働が業務の安全性に与える影響などに関するデータを紹介。

医療サービスの質を維持することはもはや不可能である

そのうえで、「もし、国民がこれまでと同じ水準の医療を求めるのであれば、どこまでの負担を引き受けることができるのかを、真剣に考える時期にきています」と訴える。

確かに、OECDヘルスデータによると、日本の1人当たりの年間外来受診回数は13,8回と、OECD諸国の中ではトップ。OECD平均が6,8日、スウェーデンが2,8日、アメリカが3,8日などであることを考えると、日本の突出ぶりが目立つ。

江原さんが指摘する通り、日本の患者がいかに気軽に病院に足を運んでいるかがわかる。

また、同データによると、コンピューター断層撮影(DT)装置の人口100万人当たりの設置台数は、OECD平均の23,8台に対して日本は97,3台。磁気共鳴画像診断(MRI)装置はOECD平均12,6台に対して日本は43,1台だった。

CT、MRIともに設置台数はこの10年で急増している。患者は世界でもトップレベルの高度医療を受けられるようになった一方、検査業務に携わる医療従事者の業務量も世界トップ水準に増大したのだ。

「現場はいっぱい、いっぱい」という現実を前に江原さんはこんな″処方箋〃を提示する。

「長期的には医師を増やすことが必要になってくるでしょう。一方で、短期、中期的には医師や医療機器を含めた医療資源を地域の拠点病院に集める集約化、機能分担が有効な対策になります。地域からはアクセス(交通の便)面で不安の声が上がるかもしれませんが、医師や機能が不足していて受け容れてくれるかわからない病院が近所に複数あるよりは、確実な病院が一カ所あるほうが患者にとってもメリットが大きいはずです」

長期的に医師数を増やした場合、あるいは、医師数を増やさないまでも、働き手の過重労働やワーキングプア状態を解消するには、その分の財源が必要になってくる。

その場合、国民や患者の負担は増えるのか。

財務省や総務省の統計などによると、日本の医療費のGDP比8,1%のうち、「公的医療費」が占める割合は6,6%、「私的医療支出」は1,5%である。

また、1人当たりの医療費支出のうち公的支出が占める割合は81%。公的医療費の割合はOECD平均を上回り、高福祉国家とされる北欧各国と比べてもそん色がない水準だ。

公的医療費の内訳は2割にすぎない

残りの8割は社会保険によってまかなわれている。このため、実質的な公金の投入率では一転してOECD諸国の中でも下位グループに入ってしまう。

日本の医療費の負担割合は一見、「公」が手厚く見えるが、個人の保険料負担などの私的負担も相当に重いのが実態だ。

厚労省がまとめた2008年度「財源別国民医療費」によると、「公費」は37,1%、「保険料」は48,8%、患者が窓口で支払う「患者負担」は14,1%。しかし、詳しく内訳を見ると、公費のうち「国庫」負担は25,1%、「地方」負担は12.0%、保険料のうち「事業主」負担は20,4%、「被保険」負担は28,3%となり、被保険者が払う保険料と窓口での自己負担を合わせた実質的な家計負担は42,4%に上ることがわかる。

これらの内訳を30年前と比べると、国庫が約10ポイント、事業者が約4ポイントそれぞれ下がったのに対し、地方と家計の負担は増えた。国と企業の負担が減った分を、地方自治体と個人が補てんしているわけだ。

医療費が増大すると国民負担が増すと喧伝されることがあるが、国際標準と比べても、国庫負担が減り続けてきた経緯を鑑みても、今後、医療費を増加する場合、財源は少なくとも患者の窓口負担の引き上げなどではなく、公的部門が担うべきだ。

その結果、仮に増税が避けられないとなったとしても、「投資」に見合ったサービスが返ってくるとなれば、理解も得やすいのではないか。

現在の財源を有効に活用するべきなのは言うまでもないが、場合によっては、私たち患者が受益と負担の問題に直面することもあるだろう。

人手や手当を増やす代わりに、負担も引き受けるのか。

それとも、医療費はできるだけ抑制し、アクセス(交通の便)や診療時間の制限、病院の統廃合などによる「不便」はある程度、受忍するのか。そんな選択を迫られる。

病院派遣労働者の食うや食わずの生活の実態は見るに耐えない

医療の専門私が驚いたことのひとつは、病院がいかに多くの職種の働き手によって支えられているか、ということだった。医師や看護師のほか、検査技師や薬剤師などのコメディカルは想定していたが、警備や医療事務、清掃、給食、電話交換などに就く労働者のことは見えているようで、見えていなかった。

医師や看護師たちのトイレに行く間もないのではないかと思える過密労働には言葉を失ったが、最低賃金と変わらない時給で、食うや食わずの生活を強いられている周辺労働者の実態も見るに耐えない。

いったい、いつのまに医療労働の現場はここまですさんでしまったのか。それは、私見としての問題意識よりも、患者としての不安に近い感情だった。

そうしたなかで、ひとつ気になったことは、彼らが同じ病院にいながら、ほかの職場で働く人々の賃金や雇用形態については、ほとんど知らないのではないかということだった。

いったん職種が違うと、初めて現場に足を踏み入れた私と同じくらい、互いの環境に関心も知識もない。それは、時に不毛な誤解や憤りにもつながっているようだった。

毎月の手取り額が10万円に満たない、ある病院派遣職員は「職場で金品や備品がなくなると、まず疑われるのは、僕らや掃除のおばさんといった請負労働者。病院なんて医者がトップで、次に偉いのが看護師。僕らはどうせ、最下層の奴隷みたいなものですよ」

と投げやりな口調で話していた。

「医師や看護師に雑用を押し付けられる」「職場で財布がなくなった責任を問われて始末書を強引に書かされた」。そんな”被害”を訴える周辺労働者は少なくなかった。

また、こうした周辺労働者が個人で加入する地域ユニオンの関係者からは、看護師の労働組合と何とか連携したいのだが、なかなかうまくいかないとの嘆きを時折、耳にした。

看護師の問題以外にはなかなか関心を持ってもらえない

私自身、看護師の労働条件がなんとか現状を維持できているのは、医労連に代表される労働組合あっての賜物だと、敬意を抱く一方で、たまに、その健全な権利意識がもう少し外部にも広がればいいのにと、もどかしく感じたことはあった。

一方で、医師たちが異常な長時間労働や残業代未払いに対して自ら声を上げ始めたことにはエールを送りたくなった半面、彼らが自分たちの賃金について「大手総合商社の管理職やパイロットと比べるとまだまだ低い」などと主張するのには、正直、違和感を覚えた。

比較するなら、何もパイロットなどを持ち出す必要はない。医師の賃金にはいくつかのデータがあるが、厚生労働省がまとめた医療経済実態調査によると、勤務医の年収は約1400万円、総務省の統計から推計したサラリーマンの平均年収約430万円の3倍以上だ。

現在の給与水準が過酷な業務に見合っているというつもりはないが、少なくとも、相対的に高額であることは間違いない。

同じ病院内のすぐ隣の職場で、生活保護水準以下の待遇で、毎日、床を磨き上げ、レセプト計算に追われている労働者の存在を知っても、それでも、彼らは自らの賃金は不当に低いと言うのだろうか。

さまざまな働き手が入れ替わり、立ち替わりするわりに、その職種の間には厚い壁がある。

ひとたび職種が違うと、とたんに不毛なやっかみと、無関心と、誤解に分断されてしまう様子は、部外者の私からは歯がゆくも見えた。

最近は、勝ち組、負け組みと言われる格差社会ではある。とはいえ、同じ病院内でありながら、ワーキングプアから年収1400万円まで、ここまで格差が大きい職場も珍しい。

周辺業務とはいえ、清掃は院内感染、給食は食事を通した治療にかかわるなど、それぞれの立場から医療の現場を守っている。給与水準に特化した話ではあるが、この差はやはり尋常とは言いがたい。

一方ではよく「医療はチームワークだ」と言い、それを黙々と実践していた。私もそのとおりだと思う。ならば、この理念を労働問題においても貫けばよいのではないか。

働き手が分断され、手を取り合えない状態は、実は労働条件を切り崩そうとする側からしてみると、またとないチャンスでもある。みすみす、「敵」にそんなアドバンテージを与える必要はない。

病院職種を超えて連携し、声を上げれば、勝ち取れる果実は大きくなる

そして、まずは、自殺や過労死につながりかねない長時間労働や未払い賃金をなくすことから手を付けるのだ。このことが目下の最優先課題であることに異論はないだろう。

続いて、周辺労働者の待遇改善。少なくとも家計を支えることができるだけの給与と、長く働き続けることの保証は欠かせない。そして、財源が限られる以上、場合によっては、医師や看護師の給与水準のアップは後回しにしなくてはならない場合もあろう。

肝心なのは、互いの立場を理解し、時には譲り合うことができるかどうかだ。

また、医師や看護師、周辺労働者が気持ちや生活に余裕を持って働けなくなるということが、近い将来、医療サービスの質の低下につながっていくことは間違いない。

まとめ

病院や診療科の突然の開鎖、ヒヤリハットや看護師のストレスの増加、患者のたらい回し。その足音はすでに、そこまで聞こえてきている。

私たち患者は安易な医療バッシングは控えるべきだし、特に医療に限らずライフラインを支える公務員へのバッシングは時に、天に唾することになることを肝に銘じるべきだ。

「公には無駄が多い」というキャッチフレーズに踊らされ、自治体病院など公的医療機関に対して過渡な効率化や職員の給与削減を求めると、いずれしっぺ返しに遭うことになる。

医療労働の危機は病院で働く人々にとってのみの問題ではない。私たち患者にとっての危機でもあるのだ。

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