病棟看護師の心を把握できなくする独裁病棟

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病棟看護師の忠誠心

以前の記事でも触れたが、内容いかんにかかわらず、上司の意見は往々にして通りやすい。たとえそれが間違っていたとしても、である。そして上司(上司に限らないが)は、自分の意見が通ったときの感覚を覚えてしまう。

相手を論破したときの″快感″である。この快感を覚えると、そればかりに先走りしすぎて、部下をどういうふうに見るべきか、などという冷静な判断を見失うことになる。そして、部下に何か間違っていることを指摘されたりしても、自分を正当化してしまうのである。

間違ったことを正論とし快感を覚える

例えば、この快感を覚えてしまった上司が看護主任であるとしよう。その看護主任と看護師長がその快感を覚えてしまい、二人が意気投合してしまったとしたらどうだろう。そこでは、″独裁の病棟″が出来上がるであろう。部下の意見を寄せ付けない独裁病棟が成立してしまうのである。
ある国は独裁政権であるとか、独裁国家であるといわれたりする。しかし、それはあくまでも国家の話である。独裁政権であれば、ほとんどの人間は国から出ることはないし、出られないであろう。言論の自由も封じられ、生活すら厳しく監視され、国家同士で交流することも一部の限られた人間以外には不可能であろう。陰で政権の批判をすれば、厳しく罰せられたりもする。

独裁病棟では看護師の心はつかめない

しかし、″独裁病棟″はこれとはまた違った性質をもつ。病棟の看護師の意見は抑圧され、自分たちの意見が上司に聞き入れられず、病棟の意見として反映されないところまでは独裁政権と同じであるが、それ以降の特徴が大きく違う。それは看護師の忠誠心である。国家であれば、他国家の情勢を把握しにくいよう、情報操作によっていくらか国民の心をつかめようが、病棟ではそのようにして情報操作をしたとしても、それだけでは看護師の心をつかむことは難しい。

なぜならば、病棟はあくまで病棟であり、看護師には他の病棟との交流もあり、意見も言えるし、他病棟の情報を知ることもできるからである。
私生活でさまざまな情報も入る。もし、自分の病棟の環境が納得できなくて、他の病棟の情報を聞き入れ、それが自分の理想に近い病棟であればどうだろう。たちまち直属の上司への忠誠心は低下していくだろう。だから、上司がそのような言葉で部下である看護師を論破するような快感を覚えてしまったら、致命的であると言えるのである。

ただ、その後に事態に気付けば話は別である。逆に、間違った理論を正論として論破できるだけのディスカツション能力をもっているならば、それをあらゆる場面で活用できるであろう。しかし、自分がその快感にはまってしまっていることに気付くことは非常に難しい。ある一定レベルの役職に就いている状態でそれに気付ければ、次のステップは非常に早いが、それに気付くことなく、ただ快感を得るための論破を披露しているようでは、麻薬の副作用と同様、大きな痛手を食らうことになる。

ではその″副作用″とは何か?

病棟看護師の忠誠心の低下

麻薬の乱用による薬物依存や幻覚が生じた後にさらに起こることは何か、ご存じだろうか。そう、心身の破滅である。病棟でたとえるならば、〃病棟の崩壊″とでもいおうか。最後には患者にまで影響が出るのである。究極まで看護レベルが落ちても、その状況すら正当化してしまい、快感を得るという悪循環を見事に演じきってしまう。

このような上司は現実にも決して少なくないと思う。

論破できるディスカッション能力に触れたが、それは麻薬にたとえるならば、薬物としての正当な麻薬の使用、つまり強力な鎮痛剤であったりする。もし小さな診療所などにこの薬物が設置されていなければ、麻薬が必要な重病の患者のときに十分な対応ができない。もちろん使い方を間違えれば大きな問題となるが、病院機能としてはその麻薬の保有は必要不可欠なものなのである。

デイスカツション能力を自分で慎重に扱い、管理できれば、それはある一定の大きな病院で麻薬は厳重に管理され保存されているのと同じ効果を発揮する。ある一定の人格者がしっかりと自覚の上で保有しているのであれば、あらゆる状況に対応できる人間の重要な一材料となるのではなかろうか。

看護組織とはいったい何なのか

医療関係、特に看護課を中心とした視点で見ていきたい。看護師として組織の中に入った以上、それ相応の規律を守る必要があり、義務がある。もちろん、社会人として、である。しかし、個人としてどこまで組織に捧げるかということは、人によって違うであろう。どこまで組織に自分の人生を貸すか。プライベートと天秤にかけた場合、ウェイトの比重は非常に難しいものがある。

特に日本人であれば、少なくとも表立っては、仕事に尽くすという人が多いのではなかろうか。

一度振り返ってみてほしい。何のために生きているのかを。仕事のために生きているという人がいれば、それは確かにそうなのであろう。でも、それ以外の回答を出した人間は、やはリプライベートの方が重要ではなかろうか。ただ、日本人はおかしな美学をもっている者が多い。「組織というものは」とか「皆に迷惑がかかる」などと非常に格好のよい台詞をよく口にする。

これも捉えようによっては、もちろん間違ってはいないが、職場に迷惑がかかってもプライベートを選ばざるをえないときがあるのは周知の事実である。迷惑がかかるのはわかっているが、プライベートの方(例えば、病気での休暇や身内の不幸、その他の急用)を優先しなくてはならないことは時々ある。それを、事実を知らずに批判するのは非常に浅はかである。問題は、そのウェイトである。

具体例を出すと多岐にわたり、説明も複雑になるが、組織に疑間を感じる一つの例を挙げてみたい。

A病院には看護学校を受験するにあたり、事前に″院内選考″なるものがある。それに合格した者だけが、看護学校を受験することができるという規定である。その規定の意味や価値自体も全くわからないのだが、それはA病院の方針として触れないことにして、それよりもなぜ院内選考に落ちたら看護学校を受験してはいけないのかということである。

少なくとも院内で選考する意味はどこにあるのか、などを部下に公表すべきであろう。

「組織というものはそういうものだ」とか「組織に従えない者は」などという台詞もばかばかしい。それ以前に、そのような仕組みは組織とはなんら関係のないものである。組織の名の下にある方針に無理やり従わせようとしているだけの話である。そのような台詞で受験をあきらめさせる病院も非常に不思議だ。

総看護師長

病院組織の中で看護部門の最高管理者であり、院長に直属する管理者でもあるのが看護部長である。この役職の呼称を、病院によっては総看護師長としている。

看護部門名が看護部であっても、その長の役職名は総看護師長の場合もある。略称の総師長(ソウシチョウ、以前はソウフチョウ)は、一般の人々には意味が伝わりにくいため業界用語といっていい。

敗戦後の1948年、GHQ の指導により看護婦監督が誕生し、院長・事務長・総婦長(総看護婦長)が病院管理の三本柱として位置づけられ、全国の国立病院や療養所の院長・事務長・総婦長を対象に病院管理の研修が行われた。

そして1950年には「総婦長制度」が発足した。

1960年に看護婦不足が原因で病院ストが全国的に拡大し、その対応として厚生省(当時)は諮問機関「病院経営管理改善懇談会」を設置し、その中で看護管理の重要性や、看護部設置の必要性なども語られ、翌年に文部省(当時)は「各国立大学病院は内規で看護部を設置できる」としたが、実際に設置したのは一部にとどまった。

時が過ぎ1976年に国立学校設置法の一部改正があり国立大学病院は看護部を設置し、その長を「看護部長」とすることとなり、国立病院や療養所もそうすることとなったが、看護部設置が実現したのは、その6年後の1982年である。

つまり、看護部設置と看護部長への改称には、かなりの時間がかかっており、その間に長らく既存の総看護婦長という呼称が使われることになり、医療界に深く根付いた面があると思われる。

また、「総婦長」という呼称について、金子光は1967年発売の雑誌「病院」に、「総婦長の歴史」という記事の中で「教育レベルが満たないとして″看護部長″の称号とはなれず、看護課長、看護科長などが挙がったが、誰ともなく″婦長の総まとめだから総婦長は?″とのことでそうなった」と記しており、当時の看護職の地位や、女性が役職へ就くことへの否定的雰囲気なども総看護師長という呼称の定着に関係しているのではないだろうか。

「総」がつく役職には、総長、総書記、総代、総支配人などがある。いずれも、大人数を束ねるイメージがあり、病院の中で一番人数の多い職種を束ねている点に総看護師長はフィットするかもしれないが、日本の看護職の歴史を引きずっている呼称でもあるのだ。

ちなみに、看護の辞典類に「看護部長」は掲載されている場合があるが「総看護師長」はない。

総婦長制度は管即思考のシフトチェンジのシンボル

戦後、GHQの指導による医療界改革のための1つに、全国の国立病院。国立診療所の院長・事務長・総婦長(総看護婦長)を対象にした病院管理研修があった。

1948年、国立東京第一病院(現・独立行政法人国立国際医療研究センターの前身)の敷地内の一角に設置された「病院管理研修所」(国立)で行われた研修は、それまで開業医を中心に発展してきた日本の医療を、病院を中心に組織的な医療管理を進めていくことを目指した、戦後の医療組織改革の大きな第一歩である。

研修の翌年1949年、厚生省国立病院課長から各国立病院・国立診療所宛てに総婦長の人選を行うよう通牒が届く。これに基づいて総婦長の人選が各施設で進められ、1950年に総婦長制度が発足し、現在の看護体制の基盤となる組織が整った。

なお、国立東京第一病院の初代看護婦監督となった吉田浪子(日赤出身)は、1950年からその呼称が「総婦長」となった。さらに国立東京第一病院の初代総婦長を退任した吉田は、1956年に自衛隊病院に移り看護部長に就任した。この時、わが国で最初に「看護部長」の名称が使われた。

まとめ

そのような台詞を言う上司は前述の″論破″ではないが、そこで組織の名前を使ちて相手を納得させようとするのは無能な者のやることである。そんなことをしては部下の頭の中に矛盾と疑間が生じるだけだからである。もしくは、プライベートと仕事の価値判断ができない部下であれば、それに従い、受験をあきらめ、人生を棒に振るだけだろう。

もちろん、誤った判断が結果的に正解になることがあるのはいうまでもないが。

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