これだけは知って欲しい!看護師が教える障害者の性のケア

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る
障害者の性の介護

「身障者の男性のからだを濡れタオルで拭いているときに、性的な反応が起きてしまい、あまりにも気の毒だったので、その場で看護師が処理をしてあげたケースがあるとかないとかって噂、どう思う?」

「都市伝説みたいなものでしょ」

「…だよね」

障がい者の性を享受する権利

看護師の間で、ごくたまにこのような会話が交わされることがあるのは、障がい者の〈性を享受する″権利″を守る〉ことが看護師としてできていないかも…、という「不安」や「後ろめたさ」が胸の奥底に存在するからである。

セックスと障害者、射精介助の現場参考:アマゾン(ホワイトハンズ)

近づきたくない性の処理

本当は不安や後ろめたさといった感覚に共鳴してほしいし、どのように対処すべきか話し合うべきだ、と考えつつも、そうした問題提起をすると周囲から誤解を受ける恐れがある。そのため、多くの看護師はこのテーマに近づかない。無視する。そして、不安や後ろめたさは解消されないまま、胸の奥底に封印されるのだ。

しかし、例えば折々に

「障がい者は男でも女でもなく、保護の対象としか見られない」

「障がい者のトイレは男女が分かれていない」

「性の否定は障がい者が子供を持つことの否定だ」

といった当事者の声に触れると、まるで自分の胸の奥底を見透かされたような気がしてどきりとする。その度に「不安」や「後ろめたさ」は再浮上して、看護師としての自分を責めたてるのだ。

性行動に関する看護モデルが存在しないわけ

ナイチンゲールに次ぐ看護学者ヴァージニア・ヘンダーソンが著書「看護の基本となるもの」の中で挙げた「基本的欲求14項目」は、基本的看護の構成要素とされ、看護を学ぶものにとって欠かせない看護理論であり、看護学校における看護実習の際にも引用される。

  1. 正常に呼吸する。
  2. 適切に飲食する。
  3. 身体の老廃物を排泄する。
  4. 移動する、好ましい肢位を保持する。
  5. 眠る、休息する。
  6. 適当な衣類を選び、着たり脱いだりする。
  7. 衣類の調節と環境の調整により、体温を正常範囲に保持する。
  8. 身体を清潔に保ち、身だしなみを整え、皮膚を保護する。
  9. 環境の危険因子を避け、また、他者を傷害しない。
  10. 他者とのコミュニケーションを持ち、情動、ニード、恐怖、意見などを表出する。
  11. 自分の信仰に従って礼拝する。
  12. 達成感のあるような形で仕事をする。
  13. 遊び、あるいはさまざまな種類のレクリエーションに参加する。
  14. “正常”発達および健康を導くような学習をし、発見をし、あるいは好奇心を満足させる。

参考:Wikipwdia”ヴァージニア・ヘンダーソン”Wikipwdia”ヴァージニア・ヘンダーソン”

 

看護学校では患者の性的欲求に関する教育は行われない

しかし、ヘンダーソンはこの14項目を基本的欲求としながらも、性的な欲求は取りあげていない。ヘンダーソンに続くローパー、ローガン、ティアニーの看護モデル(RLTモデルと呼ばれる)においても、性的欲求に関する生活行為はすっかり脱落している。総じて、看護学生が学ぶ看護学において患者の性的欲求に関する教育は行われない。

この点は、近代看護教育が、ナイチンゲールの野戦病院での経験に端を発しており、いわゆるマズローの自己実現理論における最下層、生理的欲求が脅かされている状況からスタートしているためではないだろうか。なぜなら、生死の境をさまよう人間にとって性的な欲求は二の次、三の次だからだ。マズローの自己実現理論も、ヘンダーソンやRLTモデルと並んで、看護師にとって必須課題のひとつだ。

マズローの欲求階層ピラミッド

参考:Livedoor newsLivedoor news

 

1.性を享受する権利があることの説明(教育)

1999年8月、香港で開催された第14回世界性科学学会総会において採択された、性に関する人権である「性の権利宣言」にはこう述べられている。(一部抜粋)

セクシャリティ(性)は、生涯を通じて人間であることの中心的側面をなし、セックス(生物学的性)、ジェンダー・アイデンティティ(性自認)とジェンダーロール(性役割)、性的志向、エロティシズム、喜び、親密さ、生殖がそこに含まれる。

セクシャリティは、喜びとウェルビーイング(良好な状態・幸福・安寧・福祉)の源であり、全体的な充足感と満足感に寄与するものである。

性的欲求を満たすことは基本的人権に含まれる

平等と非差別は、すべての人の人権の保護と促進の基盤であり、人種、民族、肌の色、性別、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的もしくは社会的出自、財産、出生時およびその他の状況(障がいの有無・年齢・国籍・婚姻状況・家族関係・性的志向やジェンダーアイデンティティ・健康状態・居住地・経済的および社会的状況)に基づく、あらゆる区別、排除あるいは制限を禁じるものである。

 

性の権利が基礎におくのは、国際社会および各国・地域において策定された人権に関する文書、憲法や法律、
人権保障に関する基準や原則、人間の性や性の健康に関する科学的知見においてすでに認知された普遍的人権
である。 世界性科学学会

性的欲求を満たすことは、飲んだり食べたり、思うことをありのままに話すことと同様、基本的人権に含まれるものだ。こうしたことを丁寧に説明し、欲求に対する対応の仕方を障がい者と共に考える。こうした姿勢が看護職にも求められるのではないだろうか。

2.ボランティア団体や関連サービス業の紹介

2004年に出版されて話題となったノンフィクション作家の河合香織著「セックスボランティア」。この本の中にはさまざまな「性の介助者」が登場する。気管切開のため24時間酸素吸入器を装着している高齢者をソープランドへと連れていくボランティア男性や、自らネットでボランティアを募り自慰行為の介助を受けた脳性まひの男性など。

障がい者専用のデリバリーヘルスなどボランティア団体もある

実際に、障がい者専用のデリバリーヘルスや、障がい者に対して割引き金額でホストの出張サービスを行うホストクラブなどもある。こうした風俗サービスの予約代行や来店介助、あるいは、障がい者の自慰行為を介助するために用具の代理購入などを行うボランティア団体もある。

中でも、男性障がい者のために射精介護サービスを行うNPO法人(現一般社団法人)として各種メディアへで取り上げられたボランティア団体「ホワイトハンズ」の存在は大きい。ホワイトハンズでは、娯楽や性欲の処理ではなく、障がい者のQOLの向上を目的として性的支援を行っている。

障がいのある人が性的に生きやすい社会は、健常者にとっても 性的に生きやすい社会のはず

Youtube 障がい者の性-Medical Sex Worker 視聴制限あり

射精介助サービス

参考:ホワイトハンズ

 

こうしたサービスや団体の情報提供を行うことでも、看護師が障がい者の性的欲求を間接的に、しかし積極的にサポートすることが可能となる。

3.経済的自立に向けての支援

障害者の雇用の促進等に関する法律、いわゆる障害者雇用促進法が平成28年に改正された。この法律の目的は事業主に障害者の雇用を義務付け、障害者と障害者でない者との間に、均等な機会と待遇の確保を求め、障害者の職業の安定を図り自立を促進するものである。平成28年の改正では、国際条約の批准推進のため差別禁止規定や合理的配慮が盛り込まれた。

障害者に対する差別の禁止及び合理的配慮の提供義務について

参考:厚生労働省

この法律に定められた民間企業の雇用率は2%で、平成28年6月1日現在の雇用者数は47万4千人、雇用率達成企業数は48.8%であった。雇用率を達成している企業は、従業員数1000人以上の規模が半数を占め、雇用者数、雇用率ともに過去最高ではあったが、雇用率未達成の企業のうち、約6割が障害者をひとりも雇用しておらず、雇用状況に改善が見られない企業2社が厚生労働省により公表されている。

身体に障害を持つ人の数は全国で約393万7千人、知的障害者は74万1千人となっており、現実の障害者の就職、経済的自立は厳しいものとなっている。障害者の就職についてはハローワークで相談が受けられるのはいうまでもないが、就職に向けての職業訓練ならば民間の就職支援サービスを利用する方法もある。

東京千代田区に本社を置く、障がい者の就労支援サービス会社「ウェルビー」では、全国に56の就業支援拠点を持ち、これまでに1000人を超える就労実績がある。就労者のうち、統合失調症、うつ病、発達障害で6割を占めるが、身体障害、知的障害もどれぞれ7%、6%の実績がある。

看護職は障がい者へサポートが必須になる

しかし、もっとも重要なことは社会と、社会を構成する人々が、障がい者への理解を深め、個人の状況に応じた対応に基づく行動をとれるよう啓発していくことだろう。そのためには、障がい者自身の声を一般に届けることも大切で、看護職を含む介助者はそのサポートをしていかなければならない。

4.出会いの環境づくり

肉体的に結ばれる援助をする

性的な欲求とは生理的、本能的な欲求であり、主に肉体が欲するところのものであるが、それだけにとどまらず、異性との精神的交流、愛されたいという欲求、家族を持ちたいという思いに昇華する欲求でもある。多くの場合は、惹かれあい、恋が芽生え、肉体的に結ばれる、という手順を踏むが逆もまた真なり、である。

もともと農業国であった日本では、仕事を覚えて一人前になると嫁を娶り家を守る、という文化・風習があり、男女ともに20代前半で結婚することが多かった。また、農家にとって子供は大切な労働力であり、多産が奨励され、10人を超す大家族も珍しくはなかった。

しかし、今や日本の社会構造自体がすっかり変化してしまい、非婚化少子化傾向に歯止めがかからないのは周知のとおりだ。また、女性の社会進出が進んだことと景気の停滞のおかげで、家族を養うだけの経済力がない若い男性は結婚できず、逆に経済的に自立している女性は仕事との両立が難しいために結婚ができない。

障がい者向けの婚活サービスも増えている

男女とも晩婚化・非婚化が進んだ結果、いまや婚活なしには結婚できない時代となっている。そんな現在、婚活サービスはお見合いパーティーやデータベースを使用したカップリングだけでなく、多種多様を極めており、障がい者向けの婚活サービスも増え始めている。

結婚相談NPOが運営する結婚相談所「ブライダルサポーター」では、障がい者優待制度として「ハンディキャッププラン」をメニューに加えている。このプランは障がい者の婚活にかかる経済的負担を軽減するために始めたプランだという。

こうした結婚相談所や婚活サービスは、総じて女性が有利な場合が多く、一般健常者の場合でも年齢、所得、職業などで成婚率が決まるケースが少なくない。障がい者にとってはさらにハードルが高く、一般の婚活サービスでは職業や収入が条件を満たさず、入会すらままならないことが多い。

この点、ブライダルサポーターは障がい者の受け入れを公に掲げているので安心だが、実際の婚活では健常者同様、女性のほうが売り手市場のようだ。特に健常者とのカップリングでは、男性健常者は「障害があってもかまわない」「障がい者のほうがよい」という会員が珍しくないが、女性会員ではめったにいない、と、あるインタビューで代表理事が答えている。

障がい者は成婚率が低い

また、障がい者同士の結婚は、障がい者自身が敬遠するために、きわめて成婚率が低い。その理由は、自分ひとりでも生活するのが大変なのに、これが二人になってはとても無理、だと考える人が多いという。また、自分とは違う障害をもつ相手だと、その障害に対する知識や経験がなく、助け合うことが難しい、と考えることが多いらしい。

しかし、ブライダルサポーターでは「門前払いをしない」をポリシーとしており、結婚を望む人は健常者にも障がい者にも、ぜひ相談に来てほしい、としている。

 

民間の大手婚活サービス・エクシオでも、障がい者向けの婚活パーティーを開催しているので、URLを掲載しておこう。

http://www.challenged-party.com/?_ga=2.173593827.1139593743.1499136325-788741538.1499136325

障害者(児)の性のケア「日本と海外の違い」

性欲は、誰もが持ち得る欲求であり、他の生活行為に対するケアと同様に介護、介助のニーズが存在している。しかし、冒頭で述べたように、病院などの施設、介護や看護職にある者と、養成する教育機関のいずれにおいても、そのような取り組みはなされていないのが現状だ。

セックスボランテイアを有料で派遣

日常生活のケアの担い手となる介護福祉士やヘルパーの教科書に、性のケアに関する記載はないし、看護学校のリハビリテーション看護の教科書に″脊髄損傷患者の性機能障害に対する看護″として情報提供や指導内容は記載されているが、具体的援助には触れていない。

一方、オランダでは「SAR(選択的な人間関係財団)」という団体が、自分一人では性欲を処理できない障害者に対して、セックスボランテイアを有料で派遣している。距離にして100km圏内、時間にして1時間以内であれば、交通費込み100ユーロで1時間のサービスが受けられる。

ワーカーであるボランティアは25名ほどの女性が主だが、男性のメンバーもいるらしい。SARのサービス費用はオランダ国内約30の地方自治体が助成対象としているらしく、SARから利用者に対して助成申請の仕方などアドバイスもしているという。また、ボランティアの大半が看護師で、中にはセラピストやソーシャルワーカーもいるという。

障害者(児)の性のケア¨関連団体、およびサービスの紹介

障害者を対象にした性のケアの関連サービスをインターネット上で検索すると、以下のようなものがヒットする。

  • 障害者専用のデリバリーヘルス(派遣型風俗)
  • ボランティアによる性的介助
  • 介護職の資格をもつ個人が、契約した施設で性的介助を有料で行う
  • 一般社団法人ホワイトハンズ

射精介助

前項でも紹介してホワイトハンズは、障害者の性の介護を社会の問題・自分たちの未来の問題と捉え、ケアの社会性の確立を目指し、多面的に活動しており、その内容は、障害者(脳性麻痺や神経難病の重度身体障害者)への射精介助、介護職向けの「性のケア」研修、各種テキスト販売などのほか、独自基準でのデリヘル検定、臨床性護士検定、性護検定などの検定業務も行っている。

障害者の性の介護
参考:ホワイトハンズ

 

ホワイトハンズの基本「障がい者の性」基礎研修とは?

ホワイトハンズでは障がい者の性にまつわる現状や環境を解説し、この問題に取り組むための講義やワークショップを開催している。この研修には看護職だけでなく、誰でも参加できる。

障がい者の性とQOL

冒頭に紹介したヘンダーソンによる「14の基本的欲求」はすなわち、病者や障害を持つ人たちの生活の質=QOL(クォリティ・オブ・ライフ)を損なうことなく、むしろ向上させるための看護指針となっている。然るに、そこに性的な欲求が盛り込まれないのは片手落ちといえるだろう。性的欲求のケアも、他の欲求を満たすための生活援助行為も、どちらも同じレベルで重要ある。

しかし、結局のところ看護師は障がい者の性的欲求に対して何をすればいいのか、何ができるのか、その具体的な答えは誰も持ち合わせていない。

ホワイトハンズとは英語で「無実」や「潔白」であり、ホワイトハンズ代表の坂爪真吾氏は「無罪」としている。その思いとは、障害の有無や、職業、性別によらず、性サービスを「無罪」にしよう、というものだ。

どちらかというと「反社会的でダークな存在」とレッテルを貼られがちな性サービスだが、健康なひとも、障害のある人も、QOL向上に性的な欲求は不可欠なものであり、こうしたサービスを健全なものにする必要がある、と訴えているのである。

また、単に性的な欲求を満たすだけではなく、障がい者も健常者も等しく、惹かれあい、愛し合い、家族を持てる社会を、当たり前の生活が当たり前に送れる社会の実現を目指すべきであろう。

看護師を筆頭に、看護介護の職にあるものは、殊さらに、そのことを忘れずにいたいものである。なぜなら、看護師は自分以外の誰かの幸せを願い、その想いをモチベーションとして看護に勤しむのであり、看護師なら誰しも心のうちにその想いを宿しているものだから。

マズローの欲求階層ピラミッド「生理的欲求」から性欲の健全性を知る

1908年ニューヨーク・ブルックリンに生まれたエイブラハム・マズローは、1960年代初頭、ヒューマニスティック心理学(人間性心理学)を提唱し、アメリカ心理学会の会長も務めた高名な心理学者だ。当時の心理学といえば、人間も動物とみなす行動主義心理学と、精神病理を解明するための精神分析が主流であった。

マズローは、行動主義心理学や精神分析学には正常で健康な人間の心理、すなわち主体性や創造力、自己実現といった健全な精神についての視点が欠如していると考え、ヒューマニスティック心理学を提唱した。彼は精神分析学を第一勢力、行動主義心理学を第二勢力と位置づけ、ヒューマニスティック心理学を「第三の心理学」とした。

5段階の心理的欲求

マズローは人間の行動原理となる心理的欲求について5段階の階層に分類した。これが有名な欲求段階説であり、自己実現理論とも称される。人間は階層の低い欲求が満たされるとより高次の欲求が生じ、最終的に自己実現に至る。5段階の欲求は一番下から、

  1. 生理的欲求
    生理的欲求とは生命と肉体の恒常性を維持するための欲求であり、呼吸、水、摂食行動、睡眠といった本能的な欲求である。これらの欠如は生物の死を意味するものであり、精神性の見いだされない植物や原生生物にもみられるが、やっかいなことに、人間は生理的欲求が充足されないと精神にも多大な影響が及ぼされ、異常行動をとることも少なくない。
  2. 安全欲求
    生命を脅かす外敵からの安全、病気や事故からの回避、天候や自然災害はもとより、経済的安定や生活水準までがこの階層に含まれる。一般的に、健康な成人は安全欲求を脅かす存在に対しても、抑制的で行動の動機付けとはならないことが多い。しかし、現代においてテロや自然災害からDVまで、常に身近な脅威に対して生命の危機を感じ、より高次の段階に進めない場合もある。
  3. 社会的欲求、愛情の欲求
    生命の維持に必要な生理的欲求、生命を脅かされない安全欲求が満たされると、人は社会に参画し孤独から逃れて集団の中に自分を見出したいと考える。ある種の帰属本能でもあり、社会的役割を得てそれを果たすことで組織・集団に受け入れられたいと感じる欲求。他者の愛情を求めるのもこの段階の欲求である。日本のことわざにもあるように「衣食足りて礼節を識る」段階である。
  4. 承認・尊重の欲求
    いわゆる地位や名声を欲する欲求だが、マズローは、そのような低レベルの尊重に警鐘を鳴らしている。より高次の尊重とは、他者よりも自己の評価に重きを置き、技術や能力の向上を通じて、自己信頼感や自立心を養うことにある。派手なプレーで注目を集める一発屋よりも、自分を信じて毎日の鍛錬を欠かさず、人並み外れた技術を維持し続ける名手こそ手本とするべきであろう。
  5. 自己実現欲求
    これまでの欲求がすべて充足されたとしても、人はさらに高次の欲求を目指す。それは自分がなりたいと思う自分になることであり、果たし得る最大限の能力を発揮し、考えられる最高の可能性を現実のものとすることである。この欲求はマズローの5段階において最高位に位置するが、この高みに到達することは至難の業だ。

例えばオリンピックの金メダリストは、それまで金メダルを目指して努力を続けてきたが、金メダルを手にして終わりかというと、そうではなく、多くはまた次のオリンピックを目指すのだ。そして、いつかは能力の限界を感じ、自己実現欲求を満たすことなく競技人生を終える。

金メダリストでさえ容易に到達しえない自己実現の高みであるが、金メダリストとはかけ離れたごく普通の、市井の人々の中に、しばしば自己実現を果たす者は現れる。そうした人たちは、現実の中で最もよい環境がどのようなものかを知り、自分と異なる存在を受け入れ、腹いっぱいの美食よりもほんの少しの美味を心から「うまい」と思える人たちだ。自分を知りつくし、現実をあまねく受け入れる。そういう者だけが自己実現に至ることができるのであろう。

生理的欲求に性的欲求は含まれないのでは?

さて、話がずいぶん逸れてしまったが、個人的には、マズローの欲求段階最下層に定義される「生理的欲求」に性的欲求は含まれないのではないかと思う。

性的欲求はあいまいな欲求なのか?

性的欲求は、生命をつなぐための摂食行動や排泄、睡眠の欠乏に優先されることはない。まず自分が生きる。自分のDNAをコピーするための生殖活動はそれからだ。その意味では、性的欲求は「生理的欲求」と、その上位にある「安全の欲求」との中間に位置し、しかも、5段階の欲求のいずれからも影響を受けるのではないだろうか。

ヘンダーソンやローパー、ローガン、ティアニーらが看護モデルに性的な欲求を含めなかったのは、性的欲求は、生理的欲求にとどまらず、安全の欲求、所属と愛の欲求、承認の欲求、自己実現の欲求のすべての段階において、それぞれの欲求と連動する実に単純であいまいな欲求であり、定義することができなかったのではなかろうか。

あるいは、性的な欲求は遺伝学的見地からすれば、生命の根源であるDNAの身勝手な振る舞いでしかなく、一方で精神世界や宗教的見地に立てば、神聖でデリケートな欲求であるがゆえに、看護の対象から外さざるを得なかったのだろうか。うがった見方をすれば、高名な看護学者たちも性的欲求の処理に立ち入ることで、自らが誤解を受けたり、糾弾されかねない、と感じたのかもしれない。

看護師は性的欲求を間接的に援助すべき

性的欲求は他の生理的欲求と同様に肉体が欲するものであると同時に、情愛という人間が持つ大いなる精神性から発するものでもある。逆に、性的欲求は精神に対して多大な影響を与える面も併せ持つ。この面倒な欲求に対しては、一般論となるような系統付けられた理論も、参考となる統計的データも存在しない。

ならば看護師は、性的欲求を直接的に支援するのではなく、「間接的に援助すべき欲求」と捉え、その方法を模索するのが最善の関り方ではないだろうか。

看護師が患者の性の権利を間接的にサポートする視点に立てば、看護師ができることが見えてくる。たとえば次のようなことである。

終わりに

実は、マズローの欲求段階説には自己実現の上にさらに高次の第6段階が存在する。この第6段階は「自己超越」といい、この発表の後、間もなくマズローはその62年の生涯を閉じた。

凡庸な小市民の自分には想像もつかないが、自己実現のさらに上をいく「自己超越」を達成した人物像について、マズローは次のような特徴をあげている。

“これまでに深い洞察を得た経験を持ち、聡明かつ創造的でありながら、謙虚で、多面的な思考を持つ。他者の不幸には己の無力を嘆き、誰かを豊かにすることに喜びを抱く。そして、その外見はあくまでも、「ごく普通」である”

マズローはこのレベルに達する人は世界中でわずか2%にすぎない、としている。しかし、その特徴を聞いて、凡庸な私にも自己超越の域に達したであろう、ひとりの女性の名が浮かんだ。

フローレンス・ナイチンゲール。彼女と、彼女が理想とした看護師像こそ、障がい者と健常者の分け隔てなく、その手に託された人々の幸福を自身の喜びとする「超越者」に最も近い人物なのではないだろうか。

われはわが力の限り

わが任務(つとめ)の標準(しるし)を高くせんことを務むべし

わが手に託されたる人々の幸のために身を捧げん

(ナイチンゲール誓詞より)


TOPに掲載している画像は「ホワイトハンズ開発日誌」より引用しています。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

SNSでもご購読できます。