看護師の人間関係~職場での看護師の立場を考える力をもつ

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病棟の看護師

上司に何かの件で相談すると、「お前は、マイナス思考。もうちょっと、プラス思考に考えられないか?」とよく言われる。ここで考えてみたいのが、プラス(マイナス)思考とは?ということである。もちろん、単純にいえば文字通り″よい方向(悪い方向)に物事を考えること〃と解釈できるが、人間の思考と行動との絡みはそんなに単純な言葉で済ませられるものではない。

看護学校の入試合格発表のとき、一般にいうプラス思考だと「あれだけ勉強したのだから自信もあるし、看護師の国家試験に受かる、大丈夫だ」という考え方になるだろう。逆にマイナス思考なら「あれだけ勉強して自信はあったが、もし落ちていたらどうしよう」となるのだろう。

精神の盾、看護師のプラス思考

世間ではマイナス思考は良くない、プラス思考でないといけない。また、それが良い、などと単純化して言う者が多い。しかし、プラス(マイナス)思考というのは、それとは少し違う。人間は、普段から少なからず予防的に悪い部分を考えて(つまり、マイナス思考)行動しているのである。だからこそ、色々な危険やトラブルを防げるのである。

もし100%マイナス部分を考えずに行動していたら、色々と″痛い目〃に遭っているに違いない。例えば、全くマイナス思考をもたない人間に対して、マイナスの事態が実際に起こったとする。そこでは精神の崩壊が起こるはずである。それを予防するために、多かれ少なかれマイナスで思考することは、生きる上で重要な、いわば″精神の盾〃なのである。

それが「予防的」ということなのである。大事なことは、それをどの程度プラスやマイナスに考えるか、どの程度意識的にやれるか、どの程度潜在意識にあるのか、それを相談する相手にどの程度口にするのかしないのか。これら全ての要因が絡み合うのである。

思考を変え管理職教育を質の高い内容で提供する

よって、単純に「もっとプラスに考えられないか」と部下に言うのは短絡思考であり、安易すぎる。むしろ、プラス(良い結果)思考がほとんどを占める人間は危機感が薄く、人間的に成長できないとさえ考えられる。これを聞いて、「いや、私はプラス思考の人間だが、すでに社会的にもある程度の地位にいる」と自負する者がいたら、もう一度ここまでの部分を読み直すべきである。

企業や上司と部下との関係については後でも触れるが、「プラス思考に考えられないか」と口にする上司が悪いわけではない。このような上司をつくらないために、経営者側は上司(管理職)に本当のプラス(マイナス)思考というものを頭の中に詰め込む、つまりは、社員教育ならぬ管理職教育を質の高い内容で提供するべきなのである。質が高く、しかも効率のよい管理職育成の仕組みが構築されることを心から切望する。

これが実行されるだけで、中間管理職から管理職まで、人間的なレベルが必ず(といっていいほど)上がると断言したいほどである。上司の精神面でのレベルが上がれば、もちろん部下に対する関わり方も変わる。そういう流れから、どれほどの看護スタッフのメンタル面が救われるか。

看護師の職場環境から立場を考える

同じフロアで働くスタッフの全てを挙げると、作業療法士、施設管理部・医師、看護師、準看護師、看護助手であるが、このうち常時一緒に働くことが多いのは看護師、準看護師・看護助手(以降、本書では看護師と準看護師を″看護師″とまとめて表現する)である。

この三種類の職種の人間が長時間を共にするのであるが、この中では色々な憶測を含めたえこひいきや噂・愚痴、そして偏見や差別などが飛び交う。これらは病棟看護長の耳に入ることもあるであろうし、主任の耳に入ることもある。

看護師同士や看護助手同士、また違う立場の側の人間の耳に入る場合もあれば、それを伝える人間もいる。このとき、それぞれの立場でどのような反応・対応をしているのか、どのような人間がどのように伝えたりするのか、それら看護師の人間関係をどうするべきなのか、などをここでは考えてみたい。

管理職は看護師を平等に認める

まず、えこひいきに限定して、さまざまな視点から触れてみたい。えこひいきは誰もがしていると言いたいが、これだけではいくらか反論を受けるだろう。単純に「私は職場の看護師の仕事を平等に見ている」という反論もあるだろうでは、「どのような大きな器の人間であろうと、人に対して大なり小なり個人的感情をもつことはある」という説明ではどうだろうか。

これなら反論する人間はほとんどいなくなると思う。この考えに対し、「個人的感情は大なり小なりもって当然だ。それが人間というものだ」というのであれば、肯定したことになる。どういうことかといえば、ひいきもその″個人的感情″とイコールだということなのである。つまり、個人的感情がどれだけ表(行動や表情や口調等)に出るか出ない差だけであって、誰しもがひいきはしてしまっているのである。

看護師同士の足並みが乱れること

「私は看護師皆を平等に見ている」と真剣に思っている人間より、自ら「偏見をもって見て当然だ」と口に出して言い、頭でもそのことを自覚している人間の方がよっぽどましである。もちろん、「皆を平等に見ている」と口に出したからといつて、本当にそう思っているかどうかは別問題であることは言うまでもない。

「私は平等に見ている」と本気で思い込んでいる上司であれば、なおさら問題で、上司としての成長が止まることに加えて、病棟での看護師の人間関係が大幅に乱れることが予測できる。

誰もが個人的感情はもっていることは自覚しながらも、できるだけひいきをしないよう努めるという認識を全てのスタツフがもっていれば、それは最高の理想であろうが、そうもいかない。しかし、上司たるもの、看護師の人間関係のもつれは理解しておくべき最小限の心得であろう。
これから挙げていく噂や差別。偏見などの例においても同じことが言える。

看護師同士の噂について

人間の心理を基本として考えた場合、自分が興味をもっている噂には特に飛びついてくる看護師が多い。そして、その情報を聞いた看護師の中の何人かは、また別のスタツフにそれを話す。そうやって、伝言ゲームと同じように伝える内容が見事に変わってゆく。ある程度良識のある人間の耳に入れば、噂はそこで止まって消えるであろうが、看護師の人間関係は、ねずみ講のような図式で広まってしまっている場合は収拾がつかなくなる。

人間には必ず好き嫌いが付き物であるので、嫌いな人間に関してはここぞとばかりに必死になって噂を広めようとする人間もいる。嫌いな人間に対しては当然のことながら良い感情が入るわけがないので、噂はより悪い内容となって伝えられ、広まることが多い。面白いことに、中には噂でありながら噂として伝えるのではなく、自分の利益のために″情報提供″という名目で上司にその内容を伝える人間がいる。

これがまたややこしい問題で、特に病棟看護師の人間関係をかき回すのである。この噂を伝えられた上司の立場としては、非常に難しい問題が生じる。というのも、″本当にただの噂であるのか、正確な情報であるのか。正確な情報であっても仕事に必要なものなのか。さらには今後介入していく必要のある内容であるのか″などを判断しなければならないからである。

しかし、ここでも「私は、噂は信じない。誰にも左右されない」などと自信満々に言ってのける上司であれば、それはそれで周りの人間はいくらかは警戒した方がよいと思う。警戒と表現すると失礼に当たるかもしれないが、わかりやすくいえば、その上司は〃十分に噂に左右されやすい人間である。もしくはすでに左右されており、自分の考えが正常に判断できているかどうかわからなくなって、麻痺してしまっている状態にある″ということが言えるのではないか。

思考を二段階に分けて表現

情報提供を完全に無視するということはビジネスの世界ではありえない。繰り返すが、大事なことは情報提供に対して適切な判断と対処をするということである。ではどうすればよいのか。簡単に思考を二段階に分けて表現してみた。

情報提供に対して、まず頭の中で考える。そして、一度どうするか判断する。これが第一段階の思考。ここまでは、人間誰もがたどる思考であろう。このときに出た判断結果を今度は逆に否定してみることがポイントである、と思う。これが第二段階の思考である。第二段階の思考を深めることで思考が柔軟になり、さらに色々な方法へと思考が広がるのである。

ここで、ひいき(個人的感情)とのバランスを忘れてはならない。看護師自身が自問自答して、さらに個人的感情を消し去るように努力するのである。非常に惜しいのであるが、これに近い考えをもつことができていながら、極端な思考に走ってしまう上司もいる。個人的感情を意識するあまり、良いとイメージしている人間(プライベートでも付き合いがある部下など)に対して、極端に厳しくしてしまう上司である。

もちろん上司という立場であれば、アメとムチは使い分ける必要があるが、これも部下の看護師の性格、人間関係を理解した上で使用しなければ逆効果なのである。その辺を理解せずに極端に厳しくする行為は、噂を聞いた第一段階の思考で対応してしまっている上司と同じ結果を招くのである。つまり、結果的には噂に″過剰反応″してしまっているのだ。

せっかく惜しいところまで考えが進んでいるのに、もったいないことである。これが、一枚上手の上司であれば、噂どうのこうのに対してのコメントはしない、もしくは冗談でごまかして真正面からは反応しないだろう。このレベルの人間が、「私は、噂は信じない。誰にも左右されない」と前述の台詞と同じことを言ったとしても、頭の中では第二段階の思考を深め続け、自問自答し続けているはずである。この思考をもつことができれば、噂はただの悪いイメージ作りのままではなく、看護師と関わる上で、また、全体を統率する上での看護師の人間関係の重要な情報源となるであろう。

職場内の差別や偏見

ここでは、看護師同士の差別・偏見について触れてみる。これも、噂に絡んでよく関係してくる出来事であるが、看護師の人間関係はそれまで悪いイメージをもつことなく仕事をこなしていたのに、噂を聞いてしまったがために、その人を差別・偏見の日で見てしまうようになったという人も少なくないと思う。

ここでも逆の思考を想定して考えてみたい。噂を聞いても看護師を差別や偏見の目で見たことはないという人もいるかもしれないので、その方向から考察してみる。すでに悪い噂を聞き入れた時点で、誰もが差別と偏見に″洗脳″されそうになっているのである。どのような状態かというと、″区別″という状況で噂の対象の人間を見てしまっているということである。

この時点でどのように対処するかが問題であって、中には噂を聞き入れないのがよいという意見もあるかもしれないが、それは先ほどの看護師の噂を情報源として活用する必要性から考えても適切とは言えない。では、看護職員同士の差別・偏見に対しては、どのようにして取り組むべきなのか。ポイントは、自分自身が対象の人間を″区別″してしまっている状況に気付くこと。

ここでいう″区別″というのは「差別」の前段階に位置する意味。ただの噂という広範囲な意味を含む段階から、偏見や差別意識の有無という具体的判断を有する段階にまで掘り下げて考えたときに、この時点ですでに″区別〃しているのだという、その思考自体を自ら認識してもらいたいのである。そして、その思考の結果、平等に見ることができているという最終結果が出たとしても、そこで思考をやめてしまうと、噂の呪縛から抜けられなくなることを、脅しのように自らの頭の中に叩き込んでおくとスタッフを平等に見るためには、仕事が続く限り、その看護師との関わりがある限り、終わりなく第二段階の思考、つまり自問自答をひたすら続けることが看護師の人間関係を良好にするひとつの手段である。

看護師人員配置対策を行う

看護現場では、医療の高度化・複雑化に加えて高齢患者(加齢による機能低下があり手助けが必須)も増え、仕事量が著しく増大している。しかし、看護人員配置はこの状況変化に追いついておらず、看護職は過密なオーバーワークを強いられており、患者の安全を保つ約束がしづらい深刻な事態に突入している。

過労死事件の発生や離職率の高さはその証明

ペンシルバニア大学教授のリンダ・H 。エイケンは、2002年に「JAMA」に発表した論文で「看護師の受け持ち患者が1人増えるごとに、患者の死亡率は7%、看護師のバーンアウト率は23%、職務不満率は15%上昇する」と示した。

日本では、「医療法」と「診療報酬制度」によって看護人員配置が規定されている。2006年の診療報酬改定時に、いわゆる「7対1」が算定され保険点数が引き上げられ、無理をして7対1をとったため看護職員に新たな負担をかけることになった病院が見られたり、7対1実現のために大規模増員をはかった大手の病院に他病院から看護職が流入したりした。

それがニュースとして目立ったが、国や看護界は看護人員配置の改善に向けてさまざまな検討・取り組みを鋭意行っている。病床数全体を減らす方向性や、看護の必要度の導入や質の評価方法の検討なども、看護人員配置改善と連動する動きである。

社会全体に看護人員配置問題の深刻さを伝える

3月1日の震災による原発事故で原発の安全神話が一気に崩れ去ったが、医療についても日本国民全体にこれまでに培った安心・安全神話のようなものが浸透しており、「大変そうだが、さしあたり大文夫だろう」という雰囲気がまだまだあるのだ。

皆が危機認識をもてばそれが改善に向けての大きなエネルギーとなる。例えば、テレビなどで幾度も「簡潔でわかりやすく説得力あるメッセージ」を流すなど告知に力を入れるのもよいだろう。

そのための適切なメッセージを見出すために、人員配置のエビデンス構築が必要となるが、その際には看護現場の負担にならない方法で行うのが重要である。スタッフも管理者も疲弊しており、看護現場全体が病人に似た状態にあるともいえ、直接的・間接的に社会全体にケアされなければならない時がきているからだ。

看護業務状況を観察・分析するのも現場

看護記録の入カデータやナースコールの使用歴から自動的にエビデンスにつながるデータを収集できるシステム開発に投資するなどなど、社会のあらゆる英知を集めて、近い将来の確かな看護を確保しなければならない。

看護人員配置の本質は医療安全ケアの質を保つ枠組み

「医療法」では、一般病末、療養病床、精神病床、結核病床、感染症病床といった病床種別に人員配置を定め、「診療報酬体系」で人員配置に応じた報酬を決定している。診療報酬体系における看護の報酬の位置づけは時々に変わるが、現在は入院基本料に包含される。

2006年の診療報酬改訂の「7対1」人員配置基準の新設では、その経済性や看護師の偏在などが取りぎたされた。が、その背景には1999年の横浜市立大学病院や都立広尾病院における医療事故があり、医療の安全を保つ方策として「7対1」新設に至る。

その点が医療経営者にも、医療を受ける一般の人々にも十分に伝わり切れず、理解を得られていない傾向があった。「7対1」新設は医療安全に向けた大切な一歩であったが、その本質が見過ごされがちであった。

理由の1つに、人員配置の表記の仕方

それまでの「2対1」「3対1」といった表記は、外来や病棟、体暇や研修中の人、管理者などすべて含めた数値であったため、一般や政策の鍵を握る人に手薄な看護状況が伝わらず、「患者2人に看護師が1人いるならば人手不足ではない」との誤解を生んでいた。

そのため日本看護協会では、実際に働いている看護師数による実質配置による表記に変えた。それによって看護人員の不足や、看護人員配置がケアの質を示すインディケーターとして理解が進むことが期待されている。

良質な仄療・看護を提供するための国と職能団体の取り組み

看護職員等の専門職種がその専門性を必要とする業務に専念することにより、効率的な業務運営・良質な看護サービスを提供できるように適切な人員配置や役割分担がされるべきとして、国は事務職員や看護補助者の積極的活用を図っている。

その1つに2012年度の診療報酬改定では、従来の基準を上回る看護補助者の配置を新設した。看護職員夜間配置加算など、夜勤帯に看護師や看護補助者を手厚く配置している場合の評価等も加わった。

また、職能団体として日本看護協会は、「医療従事者の安全と健康が患者の安全と健康を守る」という基本認識のもと、夜勤・交代制勤務に関するガイドラインの普及・拡大、労働時間設定改善。多様な働き方の事例収集・普及を図る「看護労働改善プロジェクト」や「看護職のワークライフバランス推進事業」などを進めている。

看護師の出世の必要性

上司に対しての見方や出世の必要性など、それまでもっていた価値観を振り返るようになっていった。出世の目的といえば、人それぞれであろうが、それも本音で思っているかということと、本音であるかどうかが自分自身できちんと自覚できているかどうか、という点も考える必要がある。「出世に興味はない」という発言が本意なのかどうかである。

看護師でも本能は出世欲があって当然である

本来、人間は動物である以上、他者をしのぐこと、つまり本能として出世欲はあって当然であるが、人間はそこに知性と理性をもつたから手ごわいのである。知性と理性をもつことで、出世欲をむき出しにする人間は少なくなり、それを内に秘めて行動する人が増える。中には内に秘めていることに気付かずに、それを本心であると思い込み、「出世したいと思わない」という者さえいる。これが人間というものなのである。

一度は一定のところまで出世したことがある者なら、そのつらさが理由で、看護師が出世を拒むことは理解できる。よって、その台詞は通用するかもしれないが、出世をしたことがない人間が言うと、それは負け惜しみにしか聞こえない。出世欲は征服欲に近いものと考えるが、以上を征服欲に当てはめればわかりやすいのではなかろうか。

戦国時代でたとえれば、天下を取ることを志したことがあり、途中でその難しさやつらさがわかつたので、天下取りをあきらめたのが、出世したことがある者。天下取りを志したこともないのに「天下を取りたいと思わない」というのが、出世したことがない者、そうたとえれば少しはわかりやすいかもしれない。

人間の内面を確実に読み取ることなど不可能

出世に興味がないとか出世する必要がないと言う人間の出世欲の強さを見分ける方法がある。例えば、役職についていない看護師が上司に一般にいうゴマすりをしていれば、それはいくらか出世欲が強いと判断することはできないだろうか。

仮に、その人間が本当に出世をしたくないと思っていたとしても、悪い言い方をすれば上司を自分の手中に収めたいとは思っているはずだ。言い方を変えれば、上司を自分の仲間にしたいと思っているのである。ゴマをすっている理由がいかなるものであらても、結果的にはどのような形であれ、上司を征服したいと思っていることに間違いはない。

そこで「征服欲=出世欲」と考えるならば、十分に強い出世欲をもっていると考えることはできないだろうか。他にも、ゴマすりが下手であったリゴマすりをしようとしなかったり、上司と関わろうとしない人間がいる。これも一種の出世欲の表れであり、出世欲が別の形をとった行動として出ていることが多い。

つまり、一人でこつこつ仕事をして評価を得ようとする人間(この場合は看護師)である。一人で仕事をするといっても、さまざまな状況が想定されるが、要は看護師のチームワーク軽視の場合である。医療はチームワークが重要な位置を占めると言っても過言ではないし看護師同士の人間関係が乱れることは避けたい。休憩時間も休まずに一人だけ働き、声をかけてもなお作業をやめずに続けようとする者は、一見生真面目に見えるが、心理の奥では自分だけ評価を得ようとする部分があるはずである。

出世はスキルより経営者の独断などで評価される

休憩時間に一人で作業を続けるのではなく、周囲に協力を求めて、より早く効率的に仕事を終わらせるのが最もよい方法ではなかろうか。すると「協力を求める勇気がない看護師もいるではないか」という意見が出ると思う。そういう人間は、休憩するように普通の声かけをすれば、たいていは作業を中断して皆で休憩するか、少なくとも周囲からの協力をかたくなに断つたりはしないと思う。

しかし、その中でもなお協力を断って一人で作業を続けようとする人間がいるのである。そうする人の多くは、相手の迷惑も考えず自分のみが利益を得ようとする卑怯な人間であると言える。仮に、そこまでの考えはなく、一生懸命働いているだけであったとしても、それは、無責任に他ならない。休憩時間に入っているのに自分だけ働いていれば、周囲の看護師がどれだけ休憩しづらいか。それくらいのことは、理解しておく必要はあるはずだ。

これらの行動を振り返れば、出世欲の表れと見られても仕方がないと思う。出世するための方法はたくさんあるが、上司がどれを汲み取って評価するかにもよる。これまで挙げてきた特徴を表面だけ見て評価する上司もいれば、全て奥深くまで分析して評価する上司もいるであろう。それは一種運を天に任せるしかないのかもしれない。

看護師への評価は変化をしている

病院によっては出世の評価方法も目覚ましい変化を遂げているが、A病院では、筆記試験などの規定はなく、上司の経営者(理事長)への推薦や経営者の独断などで評価される。その流れで、上司が部下の出世を検討するときに、役職についていない看護師の意見を参考にする場合がある。しかし、そこで看護師から出てくる意見というのは「この人は、いい人やし、出世するなら次はこの人やで」とか「この人よりこの人の方が人当たりいいから」とか、「頭いいから」などと非常に表面的なことばかりである。

看護師が出世するには、また、上司になるには、どのような資質を必要とするのか。それは、従事する医療施設によっても違う。同じ職種であっても、経営母体が国立(独立行政法人)であるか、その他の公立(市民病院など)や法人(これも医療法人をはじめ、多岐に分類されるが)であるかによっても全く違いがあるであろうし、同じ法人であっても、経営方針によってさまざまな評価方法があるだろう。A病院の看護課に限っては、すばらしい看護力を有していても、あるいはすばらしい人格の人間であっても、上司に好かれない限り、出世は不可能である。

簡単にいえば、本人が看護師の免許をもち、最低限の技術と知識と経験をもち、上司に好かれれば出世のチャンスはあるのである。仮に、出世したら部下に好かれない上司になるであろう人格の持ち主であっても、それは変わらないのである。他に、世襲というものが大きな壁を作っているのも事実である。それらが現在のA病院の上司陣営を作ってしまっているのだから、その上司たちが部下を評価するときも、冷静に病院を発展させるために必要な人間ではなく、自分たちの使いやすい人間を登用するのは自然の流れになってしまうだろう。

看護師のプライバシーまで介入する上司

上司になっている人間に、勘違いをしてもらつては困る点がたくさんある。気付いた点から挙げて説明していきたい。まず一つ目は、上司になると上司本人の意見は看護師に通りやすくなるということを肝に銘じるべきだということである。上司の立場から、部下に看護論を振り下ろそうものなら、 一部の人間を除き、その場でたいていはその意見を受け入れざるをえないだろう。

それを上司は、反論がなかったので己の看護論が正しかったと思い込む場合が多いのではなかろうか。一部にいる人格者ならそのような間抜けな感覚では物事を受け止めないであろうが、少なくとも上司にはそういう人が多い。さらに面白いことに「おかしいと思ったことは正直に言えよ。自分の思っていることをぶつけて来い」などと無責任極まりない発言をし、看護師の人間関係にプライバシーまで介入する上司がいる。

それを真に受けて正直に意見をぶつけてきた人間であるが、ほとんど痛い目に遭った経験しかない。それをわかっている人間は、もちろんそのような無責任発言があっても、その通りに正直に反応できるわけがない。ところが、反応がないからといって、それにさらに腹を立てる最低な上司もいる。逆に、正直に思っていることを看護師が言ったとしても、自分の意見を否定されようものなら感情的になったり、それが気に入らなくて、それを評価に入れてしまう面白い上司もいる。

まさに私的感情もろ出しの評価である。中には「その上司も人間なのだから、反論するときには相手を怒らせないように丁寧に納得させる言い方を」と助言する者もいるが、その意見にも一言言いたい。なぜ、一職員が上司の心理まで慮って説得する必要があるのか、それほどの話術・コミュニケーション技術、人間性・人間的レベルを持ち合わせた人間が、一般職員の中にどれほどいようか。もし私自身が上司であれば、そのような人間がいたら即座に出世させるように働きかけたいほどだ。

このことは、上司が心理的技術を看護師に求めているも同然の発言で、非常にばかげた話である。意見が通りやすいことを「自分は正しいからだ」とか「正論を言っているからだ」とか「解釈は間違っていない」等々のばかばかしくもある実力過信の幻想をもつのは即刻やめるべきだ。あなたよりすばらしい意見をもっている部下がいる可能性は十分あるということを。もちろん、そのような看護師が多数存在するとまでは言わないが、上司の言葉一つで、潜在的にすばらしい考えをもっている部下を押さえつけている可能性があるというこだ。

心理的技術を否定するか肯定するかは全て看護師自身の判断である

例えば,各病棟の看護長が四人いたとする。そこに役職に就いていない看護師が一人だけ混じり、意見交換をしたとする。そして、その看護師だけが違う意見を言ったとしよう。看護長たちは四人とも意見が一致しているからといって、その意見は正しいと言えるだろうか。解答は簡単である。″正しいとは言いきれない″である。

自分が看護師長の立場なら

もし、四人の看護師長の中にいる状況であったら、″私たちの意見が正しい〃と錯覚してしまわないだろうか。こうやって説明している自分ですら錯覚してしまうであろうと思う。看護師長四人の意見が一致して、それとは違う意見をもっていて反発してくる看護師がいようものなら、集団心理で、よくある集中攻撃が始まるのである。その集団心理にいかにいち早く気付くことができるかということも、優れた上司かどうかの判断基準の一つではないだろうか。

二つ目は、自分の置かれた立場をよく理解して職務についてほしいということである。わかりやすく説明するために、上司をタイプ別に分けてみた。Aのタイプは管理職としての職務よりも病棟看護師と一緒に看護業務や補助業務を行うタイプ。Bは管理職としての職務にウェイトを置き、よほどのことがなければ看護業務や補助業務にできるだけ参加しないタイプ。CはAとBの中間のタイプと考えてほしい。

まず、Aのタイプから考えてみたい。Aのケースでは、病棟業務に参加した場合、看護師や看護助手の会話の中で「主任さん掃除してくれてるわ」とか「看護師長は私たちの仕事にいつも入つてくれるし、ええ人やで」という台詞をよく聞く。つまり、Aのタイプは手っ取り早く部下の看護師心をつかむのが上手なタイプなのである。欠点としては、自分のポストとして実際どれだけの仕事をこなせているかということが評価され
るのだが、一般職員にはそれはわからないので、マイナス材料は少ないと考えられる。

Bタイプは「あの主任さん、パソコンの前に座ってばっかりで、全然手伝ってくれない。主任さんやから無理に手伝わなくてもいいけど、よその病棟の看護長とかは患者さんのお風呂介助でもすぐに手伝つてくれるのに……」と一般職員に評価されることが多く、一般職員の愚痴が噂として広まって評価される可能性がある。仕事に力を注いでいるつもりであるのだろうが、「パソコンの前に座っている」と部下に評価されるのみで、病棟看護師から高い評価を得られる可能性は低い。

自分が上司ならどのタイプなのか?

一方、自分の能力内で自分のポストに能力をつぎ込んでいるということで、自分より上のポス卜の人間からはいくらか評価されるかもしれない。Cのタイプは、基本的には自分のポストの仕事をするが、周りの様子を見て病棟看護師と一緒に病棟業務に入る。これが最も理想的なタイプで、AとBのタイプで生じた欠点を極力少なくすることができるのではないかと考えられる。

大事なことはそれぞれの病棟の上司をA、B、Cのタイプに当てはめるのではなく、自分が上司になったときどのタイプで行くべきかを考えることである。これを聞いて疑間を感じるかもしれないので、念のために説明しておく。なぜ自分たちの上司をA、B、Cに当てはめてはいけないのかというと、仮に自分の上司はBだと当てはめたとする。見た日は、パソコン業務ばかりして病棟業務にはほとんどといっていいほど参加しないので、納得がいかないかもしれない。

しかし、もしその上司が自分のパソコン業務などで精一杯で、病棟業務に参加する余裕のないレベルの上司であったとすればどうだろうか。今までその上司にはBのタイプだと当てはめていたものが、実はAのタイプだったということもあるのである。着目すべきはその上司のトータルとしての能力であり、ある力をどの業務に配分するかということである。だから、外から見ているとほとんど病棟業務に入らない上司であっても、実際は一生懸命病棟業務に参加しているつもりかもしれないのである。

逆にAのタイプに見えて頻繁に病棟業務に参加していても、実際には病棟業務に対してたいした労力を使っていないのかもしれない。もし、私たちの上司にA、B、Cなどのタイプを当てはめてしまえば、上司のレベルを的確に判断できないばかりか、誤った日で上司を見てしまうことにもなりかねない。それを危惧するのである。

出世したことがない看護師が言うのもおかしいが、もし出世したとき、病棟内の看護業務を円滑にまわしたいと思うのであれば、Cのタイプであることを心がけ、外見的にもCのタイプに見えるように周囲ヘアピールすることが、部下の心をつかむ早道であり、手早い方法であることを理解しておいてほしい。しかし、Cタイプばかりで行くと、上司になったときの自分自身の成長に支障が出てくる。

Cタイプの上司は部下の看護師の心をつかめるが

このタイプは、他の手段を講じる努力をしなければ、部下もわがままになってくる(部下が、「上司は病棟業務を手伝って当然だ」という感覚になってしまう)であろうし、それ以上の問題が起きたとき、ふと気付けば部下とのトラブルに十分に対処できないレベルであったりするのである。「お前は、物事を決め付けるように相手に話をする癖がある」と上司に言われたことがある。″物事を決め付ける〃の意味が私には全く理解できない。いったいどういう意図で言っているのか不思議である。人間というものは、ある程度の仮定を大前提として、その上で表面上は決め付けの言葉で話すのが通常ではなかろうか。

例えば、「私は、頻繁に仕事でミスをするんです」と私が上司に話したとしよう。これは、決め付けのようであるが、そこには100%の事実としての根拠がない、ある意味でいえば仮定である。自分がそう思っているだけで、周囲から見ればミスは少ない方かもしれないし、本人が謙遜して言っているだけかもしれない。そこには何の確信的事実もないのである。

つまり、こちらは謙遜したり気を遣って自分を能力の低い人間であるかのように言っているのに、そういう気持ちも理解せずに、「お前は、物事を決め付けたように相手に話す癖がある」と説教をする。

まとめ

控えめに「指導」とでも言うべきなのか。
上司の方こそ、部下の看護師のことを決め付けて見ているとは言えないだろうか。発言している上司自身が勝手にそう思っただけで、上司にとっては″主観的事実″なのかもしれないが、客観的にはなんの根拠もない話なのである。

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