看護職の仕事の規定と責務サイトについて

医療現場は医療の高度化、複雑化はもとより患者の高齢化や抱える間題の複雑化、単身者の増加や家族力の低下が顕著であり、安全管理とも相乗して看護師の仕事は複雑になるばかりです。

看護師の仕事は患者のために日々懸命に質の良い看護を提供しています

看護師サイトの管理人M。私の周囲にいる看護師たちは、忙しさの中、「何もできなかった」「そばにいることしかできなかった」「どうすればよかったのか」など、自分たちの看護に自信がもてない言葉が多く聞かれていました。

私は彼女たちの実践をそばで見ているので、自分たちの看護をもっと、ポジテイブにとらえていいのではないかと感じていました。

看護師たちと事例を振り返る場をもち、私たちは看護師は、患者さんに行った行為には、必ず看護が存在し、何もしていないわけはない。まず、自分たちが何をしたのかを振り返ることが大事です。

私にはこれまでの研究や経験から、 1人ひとりの看護実践にはすぐれているものがあるとの確信がありました。

ある看護師の印象に残った場面を記述し分析する過程を共有し、仲間の看護師と検討しました。看護師は自分たちが行った看護に意味を見出し、「救われた」「自分たちの看護を認めることができた」と生き生きと語りました。

その時に私が大切にしていたことは、看護を科学的なプロセスのもとに保証し合うということです。簡単に言うと、日々実践している何気ない看護を一定の方法を用いて、それまで気がつかなかった看護の意味や価値を見出し、次の看護につなげていく方法を身につけることです。

それまでは、自分が望む職場環境に転職を繰り返し、やっと自身の目的とスキルアップ、キャリアアップにつないでいったのです。望む環境にたどり着くまでには多くの時間と知識が必要でした。

看護師は豊かな看護経験をもっているので経験から学ぶ方法を知ることによって、やりがいや自信につながり、ひいては看護の信念の育成につながると確信しています。

また、看護師は毎日、病気をもつ人びとのそばにより沿い、少しでも質の高い看護を提供するために労を惜しまずに学んでいる姿があります。しかし、看護経験を積むことで自動的に経験から学び、熟練した看護実践ができるようになるかというとそうではなく、経験から学ぶためにはそれなりの能力が必要になります。

質の高い看護を提供するために

西欧では社会というとき、個人が前提となる。…日本ではいまだ個人に尊厳があるということは十分に認められているわけではない。しかも世間は個人の意思によってつくられ、個人の意思でそのあり方も決まるとは考えられていない。世間は所与とみなされているのである。(「世間」とは何か」阿部謹也著、講談社現代新書より)

日本看護協会では、専門性の高い知識や技術をもつ看護師を育成

看護師は患者が病気やその症状と上手につき合い、質の高い医療を受けられるようにキャリアアップした経験、知識を充分に発揮しなければありません。詳細はぜひお読みください。

専門分野の看護師を質の高い医療の提供を目的に日本看護協会が育成

看護師への視点を変えるきっかけを知ってもらいたいことを指しています

また、この文章にふれて、それなりに見渡しているつもりになっていた看護界の景色が、一気に需で覆われた感覚となり、その、かかった需をどかして、改めて自分の日でしつかり見つめてみたいという思いになったのです。

それ以来、「社会」と「世間」としての看護界のさまざまな事象に関心を持つようになり、視点を変えて物事を見つめる大切さや醍醐味を実感しました。

看護界を見ているレンズの倍率を変えたり、見つめる角度やポイントを変えたりすることで、ぼやけていた何かや全体の輪郭や横顔が見えてきます。それが、常識をこえた新しい認識の創出にもつながるはずです。

また、すっと冷静になれたり俄然やる気が出てきたりといったプラスの作用もあると思います。すでに認識していることの確認や、種々のデータの覚え書としても活用していただけるように内容の一つひとつが、看護師のあれこれを論じるきっかけとなれることができたら幸いです。

看護師のストレス

看護師を取り巻く環境はストレスで溢れています。日々増えるばかりの看護業務、業務以外の委員会活動、対応困難な患者さんとそのご家族、医師や多職種との人間関係、同僚・先輩。

看護師の人間関係、割に合わない給料

これらは、数えあげればきりがありません。

「そういったストレスから逃れるためには辞めるしかないか」なんて思っている人も少なくないようです。そんな思いを抱いた看護師や、辞めたい看護師ヘの対応に疲れてしまっている看護師の皆さんに情報発信しています。

どこの病院でもありそうな身近な事例を具体的に示して、その背景の問題を整理し、解決のヒントをお示しする形式をとっています。看護師対象のストレスに関するセミナー等では、さまざまな疑問が提示されます。

しかし、残念ながら看護師ストレスマネジメントに正解はありません。それぞれの事例の抱える背景や構造的な問題を視野に入れつつ、要因を整理し、次に出合う事例に活かしながら経験を積むこと。

さらに、そうやって整理する枠組みを明確にしていく過程こそが、ストレスマネジメントなのです。その整理する視点を与えてくれるのが理論であり、過去の研究成果ともいえるでしょう。

また、基本的な方針として、具体的な事例を理論や過去の文献での枠組みに当てはめ、できる限リ事例については、日々現場で見聞きする話からの質問等をもとにして、細かな状況設定については意図的にフィクションとしました。

つまり、あくまでも架空のエピソードですが、 どの現場でもありがちな話を提示しています。
「看護師のストレス」というと、ややもするとネガテイブな印象を与え、また誤解を招きやすいテーマです。しかしそこであえて事例性を重視したのは、「看護の前提は、対象者とそれを取り巻く環境との相互作用の中にある」という思いからです。

その相互作用の中で、看護師がバーンアウトすることなく、「看護が大好きだ」と思えること、そんな自分自身に誇りをもてること。そうやって生き生きと働くことができる環境をいかに創造していくかが、看護管理者としてのテーマでもあると思います。

日本の看護師は、「社会」であり「世間」でもある

次の文章が、そう考えるきっかけとなりました。

「私たちの誰もが世間という言葉を知っている。世間を知らない大人は一人もいないのである。それにもかかわらず世間とは何かと聞けばきちんと答えられる人はいない。…世間を社会と同じものだと考えている人もいるらしい。しかし世間は社会とは違う。

明治以降世間という言葉は文章の中からは徐々に消えていったが、会話の中では今でもしばしば使われ、諺の形ではきわめて使用頻度が高い。他方で社会という言葉は明治以降徐々に文章の中で使われはじめ、学者やジャーナリスト、教師などはこの言葉を使うが、その意味は西欧の歴史的背景の中で生み出されたかなり抽象的なものであり、世間がもってい
るような具体性を欠いている。

西欧では社会というとき、個人が前提となる。…日本ではいまだ個人に尊厳があるということは十分に認められているわけではない。しかも世間は個人の意思によってつくられ、個人の意思でそのあり方も決まるとは考えられていない。世間は所与とみなされているのである」(「世間とは何か」阿部謹也著、講談社現代新書より)

また、この文章にふれて、それなりに見渡しているつもりになっていた看護界の景色が、一気に需で覆われた感覚となり、その、かかった需をどかして、改めて自分の日でしつかり見つめてみたいという思いになったのです。

それ以来、「社会」& 「世間」としての看護界のさまざまな事象に関心を持つようになり、視点を変えて物事を見つめる大切さや醍醐味を実感しました。

看護師への見方を変えるきっかけをもたらす

看護界を見ているレンズの倍率を変えたり、見つめる角度やポイントを変えたりすることで、ぼやけていた何かや全体の輪郭や横顔が見えてきます。それが、”常識”をこえた新しい認識の創出にもつながるはずです。

また、すっと冷静になれたり俄然やる気が出てきたり、といったプラスの作用や、「認識していることの確認」や、種々のデータの覚え書としても活用していただければありがたいです。

ちよっととっつきにくい理論や過去の研究を紐解きながら、臨床現場における身近な困った事例を整理してみてください。「辞めたい」、「転職したい」看護師や「疲れた」師長の「ストレス解消法」の一助になればと願っています。

 

看護職の権限拡大のための定義と概念 サイト管理人M。