看護師は医療事故の発見者!いつもミスは起こるもの!

落ち込む看護師

勘違いやミスは誰にでも起こります。私もドジを踏んでばかりの毎日です。四十八歳の今まで二千人以上の患者さんに心臓手術を執刀し続けてきましたが、積み重ねたミスの経験も誰にも負けないでしょう。専門的な話ですが、先日、大動脈弁置換術を執刀したときのことです。患者さんは大動脈炎症候群でAS (大動脈弁狭窄症)でした。

医療事故

超低体温循環停止+逆行性脳貫流法で、上行大動脈を遮断せずに切開し、大動脈弁を人工弁に植え換える手術を計画しました。人工心肺で体を冷やしている最中、私はふと、右心房から冠状静脈洞に心停止液を逆行性に入れるための管を右心房を開けて直視下で直接入れようと考えました。
循環停止(人工心肺の停止)を臨床工学技士に指示し、右心房を切開して操作を行ったのですが、そのときに左心室内に挿入していた左室ベントの吸引を停止するよう指示するのを忘れてしまいました。この状態で左心室ベントが回っているとベントチューブを挿入した孔の隙間から左心室に空気を引き込んでしまう危険性があるのです。

しかしそのときの私は未熟ゆえか、そこまで考えが及ばなかったのです。そして、アホなことに、私は再び人工心肺をスタートさせ、再び体を冷やすことにしたのです。このときに左心室内がベントの吸引圧で陰圧になつていて、周辺の穴から上行大動脈に空気が吸引され、溜まっていたら、その空気は脳に流れていって患者さんは三度と目覚めることはなかったでしょう。

正直なビデオには、上行大動脈が左室ベントの陰圧でしぼんでいる様子が映っていました。しかし幸運なことに患者さんには何事も起こりませんでした。空気は吸引されていなかったのです。天に助けられました。ところで、この説明、理解できた人います?

事実は何?

今回紹介した私の例のように、単に医者がドジでマヌヶだから起こったミス。これを撲滅するには、私のような無能なダメ医者を市中引き回しのうえ、打ち首にすれば解決するでしょう。しかし病院で起こった事故やミスが、何事もなかったように隠蔽されるとしたら救いようはありません。患者さんも泣き寝入り。医療者側も事故から何も学ぶことができないからです。そうなると再発は防げません。同じミスばかり起こるでしょう。

そればかりか、「こんなもの黙っていればごまかせる」という処世術を若い研修医や看護師が学習してしまうのではないでしょうか。メディアに大々的に報道され、逮捕者まで出た心臓外科領域のある大学病院の医療事故では、手術の模様を記録しているはずの看護記録、人工心肺記録、麻酔記録のいずれにおいても、人工心肺で大惨事が発生したという記載が一文字もありませんでした。

医療行為の進行具合をすべて記録するのは困難です。しかし、あからさまな大事故の記載漏れ。何のための手術の記録なのでしょう。起こったことを記録するのではなく、「何か起こってもあたかも何も起こらなかったように記載する」のがこの大学病院の診療記録の目的だったのでしょうか。

このように、この国の病院では、まず事実が事実として認識できないような、そして事後において、第三者において、いつたい何が真実なのか、誰にもわからないような、意図的に構築された「診療記録」が蔓延しているように思えます。さらに起こった事実が捻じ曲げられる状況、あるいは起こった事故の責任の所在がすりかえられてしまうという事態があるとしたらどうでしょう。なんとも許しがたいことだと思いませんか?

ミスのそばにはいつも看護師

急変の第一発見者はまず看護師さんです。医療現場では患者さんのそばに常に看護師さんがいるから当たり前の話です。事故が起こればそばにいた看護師はすぐに槍玉に挙げられる、あるいは犯人扱いされる危険性が常にあります。

数年前、ある大学病院で心臓手術と肺手術の患者を取り違えて手術してしまうという、わが国の医学史に燦然と輝く珍事件が起こりました。「患者を取り違えて手術しそうになる」ではなく「手術が終わってしまってもまだ取り違えに気がつかなかった」というすさまじい出来事です。

二人の患者の体重差は十キログラム以上もあったといいます。にもかかわらず、麻酔科医は別人と気がつかずに麻酔をかけ、気管挿管、中心静脈確保などをしたようです。国民に高度な医療を提供するという特定機能病院である大学病院の麻酔導入は、さぞかし迅速であったことでしょう。

責任は看護師に

手術が始まり、心臓が停止され、左心房が切開されました。執刀医である教授は、正常な僧帽弁を目の前にして、病変(逆流)のある弁だと思い込み、僧帽弁の形成手術をしてしまっているのです。こんなあからさまな大失態の連続を複数の医者が演じていながら、病棟から手術室に患者を一人で搬送した看護師にも責任が問われたといいます。

もし仮に、患者を受け取る手術室の麻酔科医、手術を手伝う研修医など、医者の人数など有り余らているはずの大学病院で「だって最初に違う患者を運んできた病棟の看護師が悪いんだも~ん。僕知らないよ」などと、皆でよってたかって言い逃れる構造があるとしたら、恐ろしいことです。

ミスで患者を取り違えてしまった、という事態とはまったく別次元の出来事として、責任の一端を看護師にかぶせてしまうという顛末が大学病院、しかも官立の組織を舞台に演じられたことになります。これはわが国の医学史上のマイルストーンと言うべき汚点ではないでしょうか。

この看護師は、 一人で患者二人を移送してきたとも聞きます。国学者、頼山陽の漢詩『薩南佳女』で「可憐の生」と詠われた、勤勉でかいがいしく実直に働く「労働英雄」のようなイメージを私は彼女に抱いてしまいます。

こんな場合、テレビドラマならば、正義感にあふれたかっこいい主役の麻酔科医が前に進み出て「責任はすべて麻酔科にあります」と言い放つ
のでしょう。それに負けじとその麻酔科医のライバルで、濃い顔をした無口の心臓外科医がいて「いや、これは我々心臓外科のミスだ」などと口論が始まります。そこに保身が身上の病院幹部のオヤジがしゃしゃり出てきて、大きな力が働いて…。

しかし、ドラマと現実は大きく違うようです。こういった場合、リアル・ワールドで医師が本来とるべき責任をとろうとしたケースはほとんど聞いたことがありません。むしろその逆のようです。

従順な看護師の運命やいかに

さて、医師のミス、あるいは勘違い、いい加減さで急変した患者がいたとします。それでも実際の行為をしたのは看護師さんであったりします。医者の指示を受けて言われたとおりにしたはずなのに、悲惨な結末を迎えた場合の看護師の責任はどう問われるのでしょうか。

テレビ画面のアイドル歌手を食い入るように見つめる院長の息子。そこに看護師が「あのお…、三号室の患者の注射をどうしましょう?」と指示を求めて入ってきました。「今は忙しいんだっ」と機嫌をそこねる院長の息子。面倒くさそうに看護師に「ペニシリンを二万単位ほど打っとけ」とはき捨てるように指示を下しました。

看護師が祈っている

看護師がペニシリンを注射した直後、患者はペニシリンショツクで死亡してしまいます。患者にペニシリン・アレルギーがあることは入院時からわかっていたのに。卑怯な院長の息子は、「看護師がうっかリペニシリンを注射したのだ」と院長パパに報告します。結局裁判となり、責任は全部、看護師にあるとされ、哀れな看護師は…。

この事件に対してもいろいろな意見があるでしょうが、まず、「どこの病院でも起こり得ること」と理解する人が多いのではないでしょうか。容易に想像がつくと思いますが、「半アンプル」を「三アンプル」と聞き間違えたのではなく、「半筒」を「三筒」と聞き間違えたのでしょう。もちろん塩酸ベラパミル(商品名ワソラン)三筒を患者に一度に投与することは実際はあり得ません。ワソランは強力なカルシウム拮抗剤です。

私のような巨体(一八六センチ。九十二キロ)でも、強い徐脈作用のあるワソラン三アンプルを注射すれば心臓は停止します。ただ、とっさの処置では「ボスミン三筒」という指示はあり得ます。二十三歳のこの看護師さんにとっては経験上、「ワソラン三筒」が、″明らかにおかしな、普通ではあり得ない指示″とは聞こえなかつたのでしょう。

この新聞記事を読んだ私の周囲の看護師さん六人は、全員一致で「口頭で指示をした医者が悪い!」との御裁定でした。状況にもよるでしょう。たとえば、心臓マッサージの蘇生中で医者が手を離せなかったり、あるいは「ワソラン入りの注射器を作っといて―・自分で注射するから」ならば致し方ない気もします。

しかし、ワソランやドルミカム(一般名ミダゾラム)のような危険な薬剤を「うっといてチョーダイー」と看護師に全部任せてしまう医師がいたとしたら、その姿勢に疑間が投げかけられて当然でしょう。

報道からするに、二十三歳の看護師の責任が問われようとしています。彼女がこの苦境にめげずに、気丈に立ち直ってくれることを、全国の看護師が祈っていることでしょう。これは間違いない。

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