手術室看護師はどこに?患者が死ねば、下手人は私です

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患者が死ねば下手人は私です

「ずっと手術室にいてくれる」というのが″できる看護師の条件″と書きましたが、これはやはり経験年数を積んだ看護師、ということになるでしょう。長く続く、ということは仕事が好きだろうし、有能だろうといえます。

人間性についても周りから嫌われたりちょっとおかしい人は長く職場にはいられません。長く続く職場とは、友好な人間関係がなせる業です。

経験の少ない看護師では手術ははかどれない

手術は大変です。なめてはいけません。経験の少ない看護師が入れ替わり立ち替わり介助に入ってきても、手術ははかどりません。ミスも起こります。外科医が下手なら逆上し、激昂するばかりです。

結果的に手術の質は大変に低くなってしまいます。そして手術室の皆がぜんぜん面白くありません。

外科医は自分専属の看護師がずっといてくれないか、と考えるものです。ただしこれも先の、″できる看護師の条件″と同じく、まずその外科医の行う手術が嫌われたら、だれも専属の看護師にはならないでしよう。

専属の看護師は海外では当たり前です。特に心臓手術のようなリスクと隣り合わせの手術では当然です。実は日本にも「その外科医に専属」という手術室看護師はいっぱい存在します。それは民間の専門病院にいます。公立の、たとえば市民病院や大学病院にはまずいないでしよう。手術室

手術室看護師がいない理由

そういった病院に専属の手術室看護師がいない理由は何でしょうか。

それは手術件数が少ないからです。にもかかわらず、いろいろな手術に手を出します。やらなければならない手術もまれにはあるでしようが、ほとんどがべつにそこで彼らがやる必要などぜんぜんない手術です。

大学病院の心臓外科のレベルならば心房中隔欠損症など、若手のトレーニングに最適な単純な手術が向いていると思います。にもかかわらず心臓弁の形成術やバイパス手術、大動脈瘤の手術に不整脈の手術、先天性心疾患の子供の手術など、それぞれを三色そばのように、こじんまりと浅く広く行っている大学病院があるとしたら、それに付き合わされる看護師さんは大変だと思います。

付き合わされる患者さんはもっと大変でしょう。

こういった、いろいろな手術をあれもこれもチョコチョコつと行う習性は何とかならないものでしょうか。心臓の専門病院に任せよう、という発想は出てこないのでしょうか。

いろいろな手術をチョコっとやっていたのでは看護師も患者も大変ですが、外科医にとつても何の利益もありません。技術も向上しませんし、手術の質も決して高いものにはならないからです。でも執刀している外科医本人は自分では一流だと妄想を抱いていることでしょう。でなければ人様に残忍な手術など平気でできようはずがありません。

現実はキビシー分布曲線

たとえばある値をとる人は何人いるか、そんな人の数を棒グラフにします。学校のクラスの生徒の身長やテストの点数について、一五〇センチから一五九センチの人は何人、とか試験の点数が六十点から六十九点までの人は何人、と人数を棒グラフにするのです。すると、棒の頭を結んだ曲線は左右対称の釣鐘型になります。

これを正規分布といいます。正規分布では釣鐘の頂上が平均値になります。

デキる手術室看護師

平均を離れて背が高かったり低かったりする人の数は山を下るように少なくなります。つまり平均を離れれば離れるほど人数は減っていくのです。クラスのテストの点数もたいていこの釣鐘型の正規分布になります。

最近、古生物学の本を読みました。地球ができてからこのかた、誕生してきたいろいろな生物種が絶滅するまでの期間(寿命)を調べてみると、面白い分布が見られるそうです。寿命が短い(といつても数百万年)生物種がほとんどなのだけれども、なかには長いこと絶滅しない生物種がいて、それが平均値を押し上げている、というのです。

この分布では、大半の生物種が平均値の下にいます。

スキルのが平均値を押し上げている

 

心臓外科医の分布のスキル平均値

おそらく八割ぐらいだと思います。

このような傾向はわが国の一世帯あたりの貯蓄金額といった場合の分布でも同じだと思います。新聞によれば日本国民の平均貯蓄金額は二千万円ということですが大半はそれ以下の貧乏人ではないでしょうか。それをフアンドに投資してかせいだ日銀総裁やインサイダー取引をした経済新聞の社員など、ごく一部のバブリーな人がつり上げている、というのが実態なのでしょうか。

年間に行う心臓手術件数ごとの外科医の数も調べてみればこの分布になると思います。日本で行われている心臓手術は年間四万件あまりといわれています。

一方、心臓血管外科専門医は二千人以上もいます。専門医の認定が誰でも合格できるザル試験だからです。高い技術が要求される心臓外科手術の専門医であるのに実技試験はまったくありません。手術の経験は間われますが自己申告です。記録は誰にも検証されません。学会は全会員を専門医にして「みんなで仲良く幸せに暮らせる理想的な社会」をめざしているのでしょうか?・そんなに専門医を増やしたらねずみ講と同じく、必ず破綻します。

当たり前の現実が専門医を認定する学会

専門医の数と国内で行われている手術件数から計算すると、一人の平均手術件数は年間二十件ということになります。が、実際はどうなのでしょう。

現実は八割、いや九割の専門医は年間に執刀する手術件数が五件以下。一番多いのがゼロ件ということなのではないでしょうか。つまり大半は平均の二十件を大きく下回る惨状なのです。もちろんこの場合の「執刀」とは、自分で患者さんに自ら執刀する事実を告げて、正々堂々と手術内容の説明をし、手術をするという意味です。

下手人は私です

患者が死ねば、「下手人は私です。私の力が及ばなかったのです」と自らの首を獄門台に乗せる外科医のことです。偉い先生にゴマをすって影武者として簡単そうな手術をやらせてもらう「お坊ちゃま手術」ではありません。

この国の心臓血管外科専門医のうち千八百人ぐらいが平均値に遠く及ばない「負け組」です。間違いないと思います。そういった負け組心臓外科医は生涯にわたっても百件も執刀しないで消えていく運命にあります。

生涯十件以下という場合もあるでしょう。そういう心臓外科医が例外的で少ないのであればまだ話はわかりますが、大半の、それも八割以上がそういった「なんちやって心臓外科医」で終わっていく現実を皆さんはどう考えるでしようか。

もっと怖いのは社会がどう捉えるでしょうか。でたらめでいいかげんな専門医制度をまじめに「これで正しい」と考えている医者達のやる医療行為や学会で発表する内容は全部信用できないものと指弾されてしまうのではないでしようか。

そういった、「なんちゃって心臓外科医」が自分の「一生の思い出」として行う心臓手術の犠牲になる患者さんは相当数に上るのです。この現実に社会が気がついたら、もう日本で心臓手術を受けようという患者さんはいなくなるかもしれません。

たしかに、誰にでも一件目の手術はあるし十件目の手術もあるでしょう。ですがその『十件目』が外科医の生涯で最後の手術であっては絶対にいけません。三千件なり五千件なりを積み重ねるまでの一件目であり十件目であり百件日であり千件日でなければならないのです。

何せ患者さんにとっては一生で一回の心臓の手術であり、かけがえのない心臓であり、一つしかない命なのですから。そういった観点は現在の医者社会ではまったく無視されています。

医者の集団には一部の大学教授ら仲良しグループで構成する「学会」と呼ばれる無益な団体がいくつもあります。この学会は医療の質の管理には無策無能です。年々日本の医療の質が低下していく状況には今のところ何の歯止めもありません。こういった現実に皆がもっと気付くべきです。
結局、損をするのはほかならぬ医者自身なのですから。大学教授が「自分が偉い」と思っているのは結構ですが、世間を見わたすセンスがまったく欠けています。「オレが世の中を変えてやるんだ」とゴー語しますが、結局何もできません。彼らを完全に除外して医療改革はしなければならないと私は思います。

こういった点からも、一日も早く大学病院というゆがんだ医療機関がこの国から全部なくなってしまうことを私は望んで止みません。

看護師と医者は両翼です

看護師と医者は、医療行為においてまったく違う機能を担う、いわば両翼です。だからといつて片一方の翼が腐っている状態を黙ってみていたら飛行機は墜落してしまい、結局自分も大ケガをしてしまいます。

看護師さん、日本の医療を救ってください

そのためにできることのまず一つ目は、明日病院に行ったら

「お前、下手くそなんだから手術止めろよな!」

とダメ医者には言ってあげるのです。どうかお願いします。


この記事に参考として使用している画像は、渓流詩人の徒然日記から引用させていただきました。

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